ミケ的奇想 vol.1

2003年~2022年3月のアーカイブ

3月1週目の『ほげもげ星人』


◆某日
14:45

ほげ)空間を無数の四角い箱で区切ってみる。​もう無数の。無限の箱。そのうちの一つに君は入っている。次の瞬間、君は別の箱にワープする。一瞬の出来事だ。

さらに、次の瞬間もまたワープする。無限の箱のどこにでもいけるのが君らで僕らだ。数億光年向こうでも、本当に望めば瞬時である。

前後左右の文脈はない。文脈があるように作っているだけである。だれがって?君の頭脳だよ。そんなものなくても、十二分に生きていけるのだがね。文脈にとらわれ過ぎて身動きできとらんのに気づいておるんかのぉー

15:45
 文脈にとらわれ過ぎているというほげもげさんの言葉を受けて、(文脈を)切り捨てろと言うのか?と言い返した。

言った途端、あれ?あれれ?切り捨てろっていうより「切り捨てていい」って思えて、さらに「そもそも(文脈など)ないものを、切り捨てるとは可笑しなハナシだ」と思えた。

16:10

気づいてしまったじゃあないか!

今だけを愛せばいいことに。


◆某日
10:05

昨日は、珍しく10時過ぎに寝付いた。おかげで、朝は早めにスッキリ目が覚めたので、そのままベッド上で、ほげもげさんから聞いた空間を仕切った箱の中に入ってみた。前後左右、何の脈絡もない箱だ。私のできることは、ここで遊ぶこと、愛すること。

​​苦痛の正体は、何かがわからないことではなくて、何かをわかろうとしていること自体ではないか?と思い当たる。おお!たぶんそうだ。

苦悩とは、そもそも前後の関連がないのに、文脈を関連づけようするときの苦痛なのではないか?この箱の中に「ない」ものを、わざわざ持ち込もうとするから、重くなるのではないか。

おおおおお!たぶんそうだ。( ̄▽ ̄)

14:55
上記、午前の気づきより思うこと。

痛みというのは、異質なものを繋ぎ合わせようとするときの、あるいは異物が混ざり合う時の無理矢理感にある。

自然の現象を見よ。妊娠時のつわりも、花粉症だって、然りである。

一方で、混ざり合う時の違和感や摩擦が快感・エクスタシーであることも確かなのだね。sexのことばかりではなくて、あらゆる事象について言えると思われる。

分離と結合を繰り返して、大きくなる。つまり痛みと快感は、だいたい同じと思っていい。ただし、痛みは受け入れがたいとする心身の反応。快感は喜んで受け入れる時の反応。

​ほげもげさんを呼ぼうと試みると、左斜め上にいつもいるようなケッタイな感覚がある。クールなおじさん的。姿が見えるわけではないが、昔、M子さんが絵に描いていたとある星の人に似ている。

saalとの違いは何かと問う。

saalはわたしそのものらしい。

​まあ、ほげもげさんも、わたしの一部という気はする。

​15:30

ただ、ここだけを愛していればいいし、それしかできないのだと心からわかれば、とても軽やかになれる。

そんなふわりとした瞬間が1日に何度かあり、人間は本来はフェザー的存在だと本当に本当に思う。頭のてっぺんからつま先まで、あのふわり感が浸透してほしいと思わず祈ってしまうが、この願いが叶った時は、死ぬ時なのかもしれない。


◆某日
11:10

​昨日も早く横になった。でも、4時くらいまで寝つけなかった。しかたなしに、瞑想タイム。薄紫の雲の上で、文脈のない箱に入る。

​背中側が、時折ぞくっとして寝返りをあえて打って、そのままトゥーンブラストをして気を紛らわしていた。箱の中で「今しかない」ということに気づいた途端、ぞくっと怖かったものも、愛せる対象に変わる。

恐怖はすみやかに引いていく。

​◆某日
2:15​

ほげもげさん指南の空間箱のイメージを、なんべんもなんべんもくりかえす1週間だった。そして、ついにというか、ようやっと、周囲からまったく独立した「ここ」という体感が浸透してきた。なんといったらいいのか、本当に軽くなる。なんどもやっているうちに、コツというか、自分に合った極意みたいな考え方を発見した。

それは「もし世界が消滅したとしたら」という突拍子もない考えなのだが、それを脳内で本気で味わってみるのだ。そうなれば「どうする?」ってことではなくて、「どんな風に感じる?」ってことを。

それだけで、ほげもげさんの言った前後左右の文脈を切れた。脳内で、一度、全部無くしてみるのだ。当たり前だけど、実際に無くすのではない。脳内プレイ。でも、本気でやってみる。すると、わかる。私には、目の前のこれしかないってことが。これを、これだけを見る、感じる、味わう、体験する。深く深くなる。他のすべてが、「外」ではなく「中」に満たされて存在することがわかる。

今、ここだけを愛する、ではなくて、愛せるってことがわかってくる。

なんか、ごちゃごちゃ書いているけれど、違う。違うねん。ほんまに、ほんまに、ほんまに、うれしい。私は、嬉しいのだ。このフェザー感を選んでいける。「私が」選んでいけると発見できたから。

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