ミケ的奇想 vol.1

2003年~2022年3月のアーカイブ

倶利伽羅さんとフェイスマッサージ

倶利伽羅(くりから)龍王の世界観は、龍が人間で、剣が神仏とされ、龍が剣を丸呑みしているのは、神仏と人との一体化を描いているという。

 

また、不動明王の持っている剣は、倶利伽羅剣と言われるように、倶利伽羅龍王はお不動さんの化身とされる。

今日、倶利伽羅龍王さんを写龍していたとき、10年以上前に、フェイスマッサージをしていただいた時の得もいわれぬ夢心地を、ふと思い出していた。

写龍しながら夢心地になったわけではなく、その時の記憶が蘇っただけなんやけど。
 

優しく顔を撫でられているだけなのに、脳裏に、天界と地上を行き来している龍がイメージされ、セラピストさんの手を通じて、私に流れ込んできているような感覚。

 

とても感激したので、施術が終わってから、このことをセラピストさんに伝えると、

「その感覚、なんかわかります」とおっしゃった。

 

施術をしていると、ご自身も、ある種のトランスに入るような感じを味わうことが、時折あるらしい。

 

その状態の時は、シュルシュルとしたエネルギーが、上から自分の体を通過して相手に流れ込んで、相手からも何かが流れたものを、またシュルッと上に返している感じがするとおっしゃっていた。
そのシュルシュルというのは、スカッとするエネルギーがあって、自身も、そのおかげなのか、終わった時、すっきりとして清々しくなるらしいのだ。

この往来するエネルギーを、龍と呼ぶのかもしれないねえと、二人で話した。

 

さきほどの倶利伽羅龍王ではないが、剣と龍の組み合わせは、合性がいいのだと感じる。

 

京タロでも剣の宮は、四神の青龍が司る。

 

初めは、あまり深く考えていなかった気がするが、龍と剣は、すべからく一つとなるべきなのだろう。配置は自然と決まっていった。

 

私はよく、龍(のようなエネルギー)は、天界と地上を行き来する縦の上下運動になっていて、地上を這って移動する人間は、地平を移動する平面的な動きがメイン活動だから、人間と龍は、お互いを欲し合って、この地上で、互いに立体の感覚を得るようになっているのではないかという話をしたりするが、その着想となった出来事が、実は、あの日の夢見るような心地からなのだ。

 

冒頭に書いたように、倶利伽羅龍王とは、龍を人に、剣を神に、置き換えたシンボル。

そこで、今回の写龍で感じたことは、セラピストとは、要するに、倶利伽羅さんのような役割なのではないかと。

いろんな感覚が、自分の中を通過するとき、、、

剣となった龍が、人の中を貫通するのだ。

優しい。イタ気持ちいい。柔らかい。硬い、、、

施術中のそれは、一言で言えば、エクスタシーなのだ。

 

倶利伽羅さんは、仏教に根ざした存在だから、剣を一飲みする龍の姿は「神仏との一体」と位置付けられているが、
エネルギー的な視野から見れば、縦と横の交わるところの導管とも表現できるだろう。

 

さてさて、なんで、今回の写龍で、この思いつきが出てきたのかと言えば、
先日、Mさんというセラピストさんをリーディングさせていただいたことが、おそらく影響しているのだと思う。
その時、まもなく、セラピストとして大きなミッションに出向かれることをうかがったのだ。

お不動さんは、の化身としても知られていて、剣と一体の倶利伽羅龍王は、同じく燃え盛る炎の中にあるように描かれるけれど、龍王自体はの流れの激しさを感じさせる存在。剣(火)と一体となることで、龍(水)は「:かみ」となるのだろうか。

セラピスト(施術者)は「水」を思わせる人が多い気がするのだが、気質との合性のようなものもあるのかもしれない。水のエレメントを熱くするために、あるいは、自分を変化(へんげ)させるために、火のエレメントを必要としているのかもしれない。水を冷やせば氷に、熱すれば蒸気に変容させるように。

その時、別次元では、倶利伽羅さんがニンゲンの肉体を往来している。

ああ、なんという!

なんという強さと美しさ。魅惑的なメルヘンなんだろうか!

 

 

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