自分の欠点が、いつのまにか長所になっている。
そういうことはあるね。
わたしの場合、
ヘタレという属性を活かした結果、
物事の本質を見る
という方向性に
意識の全体を使えるようになった
と言える。
ヘタレで、ヘナチョコな面は、
長いこと、
私の生きづらさとして、
私の克服したい性格として、
私自身は、認識していた。
そして、人生の一時期、
20代から30代にかけて、
(40代の半ばごろまで、少し)
私は、いったん、克服したような顔ができていた。
ある意味、
強い、精神力で。
精神力なんて、ほとんど ない のに。
「これは わたしじゃない」
「なにかずれている」
「おかしい」
という、辛さが、次第に看過しがたくなってきて、
ちょっと無理をしては、倒れる
という状況を、繰り返していた。
もう、無理だ。
私は、なんど、この言葉を言ったのだろう。
言わなくてはいけなかったのだろう。
そうやって、無理 を、がんばらせる方向ではなく
(倒れるから)
無理を、単に 無理しない という方向に変えていくことを学ぶ。
簡単 だった。
単純 だった。
それだけのこと だった。
そうすると、もともとの どうしようもないヘタレでヘナチョコが顔を出し、
「ああ、本当のわたしは コイツだった」と、
認めるにいたる。
すると、私の、全力 というか、
全神経 というか、
全エネルギー というか、
全霊が、
わたしが わたしであることに向かい出した。
ヘタレ とか ヘナチョコ という
地上の性格性質的属性を超えて
むしろ そんな「キャラクター」を心地よい踏み台にして、
新しい「わたし」探求への好奇心がむくむく湧いてくるのだった。