ミケ的奇想 vol.1

2003年~2022年3月のアーカイブ

いつかは、割れるコップ。そのうち、割れる皿

ガチャン!
という音が響いて、「ごめんなさい」という小さな声。

食器棚の前で、ガラスの破片が飛び散っている。

とっさに、ボンが怪我をしていないのを見届けてホッとした。

緊急事態っぽい時は、少しドキドキしたあと、
脳が「静かに!」と、私に指令をする。

 

この間、およそ1秒。

私はものすごく冷静になっている。

 

「動かんと、じっとしてて」と、ボンに言った。

 

見ると、2個セットのコップの片割れ。
高くはないけど、おフランス製のお気に入りのやつだ。

 

私は むつっとして、
「アンタ、ほんまに雑なんよ。ていねいにしてたら、落としたりせーへんねん!」と怒り調子で、ボンを叱った。

 

こんなふうにボンを叱るのは、いつものことだった。

 

でも、、、この日は、いつもの私とは少し違った。

 

(あれ?)

子供に向かって放つ自分自身の言葉に、変な違和感があった。

 

いや、本当は、いつだって、この変な違和感はあったように思う。

 

(なんかおかしい…)

正当だと思っていた自分の怒りと叱責の言葉に、妙な感じを覚えて立ち止まった。

 

私も、2年に1度くらいは、家の皿を割ってしまうことがあるように思う。
そんな時、私は、「あーあ」と言った後は、
即座に「ええねん。代わりに、きっともっとええもんが来るはずやもん!」と開き直る。

 

これが、仮に、夫の場合でも、同じように、
「大丈夫、もっとええもんが来るためやから」と言えるだろうと思う。

なのに、なんで、子供には、そう言ってあげられへんのやろ?

 

子供の不注意は、親が「ちゃんと教育」をせなあかんから、
ここでは「叱る」のが、親として正しい行為である。

こんなふうに思い込んでいる自分の観念が見えた。

 

微妙な違和感はその都度あったが、(叱って当然)と、一見常識に見える思いが、心の奥の違和感を上書きしていたことに気づいた。

 

私は、2020年、ぜったいに直感を外さないと決めてきたのに、ものすごい抜かりが見えてきたのだった。

「子供」を例外にしていた。

 

あの叱責は、果たして「教育」になっているんやろか?
謝っているボンに対して、無意味に萎縮させているだけやないの?
もっと豊かな、人間味のある表現が、できるんちゃうやろか?

 

そんなことを思いながら、ガラスの破片を片付けた。

ボンは、しゅんとして、私の姿を、動かずにじっと目で追っている。

 

私は、仕上げに掃除機を掛け、ボンにも手伝わせながら、
投げやりな意味ではなく、何だかどうでもええような気がしていた

 

なんちゅう 細かいことなんやろ。

よう考えたら、「で、何?」ってなくらい しょうもないこと。

 

ただ淡々と、ボンとふたりで片付けして、もっと気にいるコップをいっしょに探したらええだけやん。

よその家のコップを割ったんなら、すぐに謝って弁償するべきやけど、家族やのに、この程度のことで、何ていう怖い顔してるんやろ、私…。

 

「わざとやったんちゃうのに、怖い顔してごめん。ひょっとしたら、もっとええコップがくるために、神様が割らせたんかもしれへんのにな」

というと、ボンの表情はふっと緩む。

 

私は、立ちんぼになっているボンを抱きしめた。

「…ごめんごめん。これくらいこと、気にせんとき。おかあちゃんの顔、怖かったやろ?まるで番町皿屋敷やな」

というと、やっとボンはぷっと笑った。

 

いつかは、割れるコップ。そのうち、割れる皿。

よう考えたら、皿を割ったことくらいで、罪悪感で小さくなってしまう男なんて、魅力ないやんね。

こんな時は、「あーあ」といって、あははと笑って、さっさと新しいのに買い換えてくれる男性に育ってほしいやん。たった、それだけのことやん。

 

確かに、ものを大切に扱うことは大事なことやけど、
ここで、あんなふうに叱るというのは、この論点とは繋がらない。

ここで、わざわざ罪悪感を植え付ける必要なんてあるものか。

 

ああ、こんなことで叱らなくてええんや。

なんてっこったい!(笑)

私、もっと優しくしてあげられる。

優しいままで、やっていけるやん!

 

もし次に、ボンがお皿を割った時は、たぶん、

最初に、ボンが怪我をしていない姿を見届けたら、

「良かったー!怪我なくて!」と抱きしめてあげられると思う。

 もう、それだけでいい。

 仮に、それがお気に入りの九谷焼のものであったとしても。<ほんまか?笑

 

それから、あーあ…と言ったら、笑って後片付けをさせよう。

もう、それだけでええねん。

 

私があれこれ画策しなくても、(画策しない方が)、

彼は、学ぶべきを学んでいくだろうから。

 

私は、晴れ晴れとした気持ちで、うーんと伸びをしたのであった。\(^o^)/

 

 

 

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