◆某日
18:40
ボンの帰宅後、いっしょにトゥーンブラストしていたら、二人とも公文の日であることを忘れしまった。ボンを叱るも、そのあと、叱ったことに釈然としない感覚が出てきた。単に、私も忘れていたからというだけではない。子供のため?ほんとう?
正直に言えば、ゲームをしていることの方が、勉強より良かったのかもしれないとの疑いがある。単純に、ゲームが塾より悪いとは思えないのだ。
19:00
……などと書いていたら、ボンは今、集中して公文のテキストをしている。まあ、もちろん行くべきだったという大筋はあるが、ほんとうは、叱らなくてもこれでよかったのかもしれない。こういう時、叱ってしまうというのは、本当に必要なことなのか?「もったいない」と思ってしまうのは、ただ親の経済事情のハナシなのではないか?単に、親側の考え方のクセではないのか?いや、私が夫に怒られたくないだけではないか?
本当にこどものためというなら、オカンと「よっしゃー!」と盛り上がっている時間の方が数倍貴重なのではないか。それは、私にとっても珠玉の時間と言っても過言ではないひとときだ。それを、怠けていると決めつけてしまう方が、歪んでいる気がする。ゲームをして怠けているというのは、本当のことか?形骸化した社会通念に過ぎないのではないか?
ああ、何を言っているのだ、私は!笑
19:15
子供の頃から、怠けて叱られることに、いつも憤りがあったのだ。「そんな怒ること?」と。友達と遊んでそろばん塾をさぼって、父に平手打ちされた時にも思ったのだ。私は、こんなに楽しい時間を過ごせたのにと。お父さんは、娘が幸せで嬉しくないんだろうかと。口では「ごめんなさい」と謝りながら。まあもちろん、父に叱られた意味はよくわかってはいたし、父に愛されているのも理解してはいたけど。
19:30
ああ、私は、もう叱りたくないんや。多くの場合、叱る必要を感じひんのやね。叱るってなんやろ?って思っている。叱ることで、むしろ、親の責任から逃げている気がする。叱っとけばいいと。上手く言えんけど、わかる人は多いんちゃうかな?
私は、自分のこと、夫のこと、そして、もう成人した娘に関しては、叱るという発想はない。好きなようにしているのが一番いいし、それが一番良いようになっていくという大前提を信じている。
ところが小学生の長男に関しては、子供への責任感から、つい叱る。私の方が、本質を見失ってしまっているように感じる。とんだ責任感であるね。形骸化した常識や責任感ではなく、育児に関しても、もっと自分の感覚の方を信じた方がいいのではないだろうか?…………いや、絶対そうやんか。なんや、わかってきたで。
23:30
コロナ以降、夫は家のことを、すごくやってくれる。もともと気のつく段取りの良い、ポテンシャル高めの人ではあるけど、とても昭和男とは思えない。笑
◆某日
16:30
5時に寝て7時半に起きたので、断続的に睡魔がやってくるが、その都度軽い睡眠を取り(というか、勝手に落ちているだけ)概ね元気。
17:30
やっと照準が合ってきて、指南書の訂正箇所を手入れ。十日近く、中毒的にトゥーンブラストにハマって作業を進めなかったけど、そのまま抗わなかった。抗えないというと大げさだが、ゲーム=中毒=ダメの公式を鵜呑みにしているのに違和感があったからだ。
もちろん、これはボンへの思いからだ。彼がゲームを1時間以上していることは、そんなにダメなのか。それは本当に中毒でヤバイことなのか?どうして飽くまでやってはいけないのか?ちゃんと知りたい。まあ、もちろん、私は私で、彼は彼で、過程は違うから表現も変わってくるだろうけれど。私なりの一つの結論を持つに至る。
18:30
しばらくトゥーンブラストから離れられなかったので、目を閉じると、目の裏でブロックが落ちてキラキラと小さな爆発をするまでになった。笑(とくにはちみつが散る様がきれい✨)
そして、パパパっと閃いた。あれは玉転がしの際、薄紫の雲の中で爆発している様子に酷似している。爆発が、雲を浄化というか綺麗にさせているのがわかるから、私はどんどんと雲の中に玉を転がす。雲をつかったシフトに欠かせない爆発。トゥーンブラストのおかげで、よりリアルになったじゃあないの。すごいわ〜。結局、カミナリさまのやっていることも、ある次元では、これなんだから。
指南書は、たろうさんの視点でと思ってはいたが、おかげではっきりと捉えることができた。ゲームにはまっていたことは、遠回りに見えた近道であったのだ!(驚)
訂正執筆前に、すごいおもろいことに気づいてしまったが、これは、また別の機会に書こう。
21:50
ゲームの意味なんて、自分で作れる。自分から目を逸らすためであれば中毒といえるかもしれないが、好きでやる分には、その意味は自分で与えればええやん。自分の世界のことは、ぜんぶ自分で意味づけをすればいい。ボンがゲームに興じることも、気長に、もっとずっと気長に、見守っていこう。
◆某日
18:05
顔にシールの枠を貼り付けて宿題をするアホボン。
◆某日
21:00
ニシンとポテトサラダを合わせる。さすが、オイシックスのアイデア。
◆某日
14:00
市内某所。衝撃の散り始め。まだ3月中頃やで。
◆某日
11:30
執筆、おひとりさま、おこもり。
◆某日
21:00
またパスタで、コンビニ赤ワイン。