キャンドル作家の真帆さんと近代美術館でやっていた『トルコ至宝展 チューリップの宮殿 トプカプの美』に行った。
美しいマリア像を多数手がけられる真帆さんは、西洋の歴史も詳しくて、解説してもらいながら、ひそひそと話しながら会場を歩いた。 ヘタな音声ガイドより、めっちゃ勉強になったわ。
急にお誘いして、時間がなかったので、第1会場しか見られなかった。できれば、終わるまでにもっかいいこう。
その後、二人で、カフェのテラス席で、過激な話(笑)ばかりしていた。
マグダラのマリアや卑弥呼のことなど、二人でとめどなく話し込む。内容は、マジでやばすぎて書けない。( ̄▽ ̄) こういう刺激強めな話が、まんま通じ合える人って、ほんまに嬉しいし、面白すぎ。 ほんまのところは、男性には話せへん。
まほさんには、あるキャンドル作品をお願いしているんだけど、この前、書いたように、夏至前の1週間くらい、めちゃくちゃローだったので、その時の私を受信して進んでいたらいややなぁと思って聞いた。
「大丈夫。なんか『今はちがう』ってのが、軽〜く来てたから、取り掛かるのは来週以降と思ってる」と。
おお、さすが。助かった。
心配しなくても、一番いいとき、一番いいように、進むんやろなぁ。
ほんま、すごい作品なのよ。ほんまに。
湖底に沈んだお神輿のような作品。(謎)
弁天さんを感じるという、不思議な作品。
「彼女」が部屋にくるために、今、部屋を設えているようなものだから。
それと、タイムリーなことに、スマッジ(乾燥させたホワイトセージ)をいただけた。
お電話した時に、唐突に「スマッジ、いる?」と真帆さん。
ちょうど探していた時だったので、驚いて「ほしいほしい」と即答した。
しかも、これ、まほさんが育てたホワイトセージなのよ。京都産。 湿度の多い京都では、セージは育ちにくいハーブらしいけど、さすがの真帆さん。
身土不二。本来、その土地でできたものがいちばん。
「女」がきた夏至前の、あのキツい時期、実は、お祓いに、スマッジを焚こうと、家中を探したけれど、紛失したようで見つからなかったってことがあった。
めっちゃしんどかった話を真帆さんに聞いてもらっていたら、まほさんは「そのときはスマッジを焚かなくて良かったんちゃう?霊かて、そのままの自分をわかってもらいたがっているのに、その状態で『祓って』しまうのは、なんか違うって思うわ」と。
確かに。
そのときスマッジが見つからなくて、よかった。 だれだって、言いたいことあるときに、一方的に話を切られたら、それだけで不愉快やもんね。
そして、一波乱あり、大波が引き、たぶん、今が、祓いどき!
祓いどきに祓ってあげることは、成仏(一種の成就)になるのだろうと思う。
先ほど部屋で、真帆さん作のスマッジを焚いて、茎の部分をロウソクの芯代わりにロウのなかに立てたら、めっちゃ勢いよく炎が出た。
だから、もともと灯していたポットの中のろうそくと取り替えようとしたら、お皿の上に、タラタラ〜とロウが流れ出たんやけど、その形が、なんだか赤子を抱いているマリア様っぽい。

( ↑ 加工なしよ、マジで)
真帆さんからいただいたスマッジを立てたロウだと思えば、可笑しなことではないような気がする。
それに、下のお皿の柄と合わせてみると……ぶどうが、なんとなくツノに見えなくもないので、別の見方をすると、ディオニソスっぽい。ぶどうなので、ぶどう酒の神でもあるディオニュソスをますます彷彿とさせるキャンドルのロウ。
さらに、トート版の0番、愚者である[fool-child]はディオニソスと同一視されている面もあって………
など……と、うっかり垂れてしまったロウに、さまざまな連想をさせてもらって楽しい午後。
良かった。彼女。成仏できたね。 (それは、もちろん、私の一部でもある)
おかげで、親分が、今まで以上に男前に見える本日である。 ちょっとくらいお腹が出てこようが、ね。( ̄▽ ̄) 加齢臭も愛おしい?!笑