ミケ的奇想 vol.1

2003年~2022年3月のアーカイブ

神話が好き

 私は、日本の神話も世界の神話も好きだ。特に好きになったのは二十歳を越えてからで、夢見探求の中で、ぐいぐいと引きつけられていった。

 

 夢見というのは、摩訶不思議な心理作用なので、夢分析を行うなかで、心理学者のユングを知り、さらに、神話学のジョセフ・キャンベルにハマり、しだいに、夢の分析と神話は、切っても切れないものとわかってくる。(三十年くらい前に、NHKラジオでやっていた、ジョセフ・キャンベルの講演会の日本語訳音源は、今も宝物)

 

 神話に登場する神々というのは、森羅万象を産む。しかし、ちょっとしたことで怒るし、気に入らなければ殺す。これは、万物の成立や生命を比喩として擬人化擬神化しているだけなので、人間世界の倫理観やルールとは、もちろん別次元の解釈をする必要がある。

 

 また、神話の信ぴょう性自体も、あまり当てにはならない。神話は、歴史の為政者によって改ざんされるものだから。太古の原型のまま残っていることはまずないだろう。

 

 そんな、「当てにはならない」神話に、なぜハマるかといえば、どんなに人間たち(=権力者)が、都合よく物語を変えたとしても、変えられないものを感じるから。

 

 太古より連綿と流れているもの、受け継がれているもの、取り巻いているもの──私たちが、そうとも思わず影響を受けてしまっているものが神話の中にある。(そして、それが、夢にも現れる。意識していなくても)

 

 時の権力者が、神話を改ざんするにあたり、どのように物語に手を加えようとするかは、簡単に想像できる。

 

 おそらく、自分(たち)のルーツが、その国や地域の太古の「神」であったとの流れを誇張するか、あるいは新しく作ろうとするか、または、反対勢力の系統の神の名前を消すか変えるか、そんなところではないだろうか?

 

 人間の知能のやることは、せいぜい「そんなもの」だろう。「そんなもの」は、いずれの世かで、再び覆される。

 

 神話は、実のところ、「そんなもの」など伝えようとはしていない。神とは、「人知を超えたもの」。人間側の浅知恵など意に介さない。

 

さて私は、神話とは、自分の「身体」を使って「体感」しうるものだと感じている。

また、その物語性は、人間一人一人の「生」の中で、再現されていることを実感することもよくある。

 まあ、私の場合は、体質的に?というか、夢分析ばかりしているような変態なので、特に、神話的な物語性に感受しやすいのだろうけれど、特にそういう趣味のない人でも「探求」が可能なのが、神話の面白さ。

個人的には、これこそが真骨頂だと信じている。

 

 

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