ちかごろは、ムージばかり見ている。
喉が渇いて、水を飲むが如く、ムージばっかり。笑
ムージが導いてくれる瞑想は、
ただ「観ている」だけの存在状態そのものに気づかせてくれる。
私(私たち)の存在は、ひとことでいえば、
「気づき」自体だと、言いたく思う。
それは「存在」とも言い換えられるけれど、
「気づき」も「存在」も、
それぞれの人の脳内で、特定のイメージが作られないように、
できるだけシンプルな言葉で伝えたい。
気づいているだけ。
永遠に傷つくことのない無傷の 不死の
ただ、どこまでも いつまでも「観ている」存在。
それが、わたしたち。
目に見えている現象は
煙(けむ)のようなもの。
瞬く間に形を変えていく
あるいは 消えていく
雲のような 煙のような。
それに囚われるのは愚。
しかし、この刹那、いっしゅんいっしゅんは、
だからといって、ないがしろにはできない。
囚われず、ないがしろにもせず。
わたしは、その絶妙な「肉体」次元にあるのに、
でも、それ(肉体次元)すら、ただの煙であること、、、
この面白味に 息を飲むばかり。