ミケ的奇想 vol.1

2003年~2022年3月のアーカイブ

神話は、鏡面のように反転して映している

足の親指から生まれた一寸ジジイの夢 足の親指から、『ちっさいおじさん』が出てくるという夢を見ました。

よく見ると、ただのちっさいおじさんではなく、数年前に他界した私の父でした。

しばらくすると、父はまた指の中に戻り、そのあと、口の中から再び出てきました。親指姫ならぬ親指おやじというか、一寸法師ではなく一寸ジジィというか、小さな小さなミニチュア親父が、私の体の部分から現れ出るという、とてもファンタジックな?夢です。

 

奇妙奇天烈な、だからこそ、ある意味とても夢見らしい夢見でもあった一寸爺でしたが、夢見というのは、神話の原型、つまり物事の成り立ちを教えてくれる場合も多いようで、この一寸爺の夢見にも神話的な含みが感じとれました。

 

神の身体の一部から発生する神々たち 神々は、分娩によって生まれる場合もありますが、神話の始まりの頃の神々は、親となる神様の一部分から発生するように描かれることも多いのです。

たとえば、古事記にあるアマテラスとスサノオの誓約(うけい)と呼ばれる一節には、アマテラスはスサノオの持っている剣を口に入れて?み砕き、その時の息の霧から三柱の女神が生まれ、そのあと、アマテラスのもっていた勾玉をスサノオが噛み砕くと、その息の霧から五柱の神々が生まれたというものがあります。  

また、ギリシャ神話の有名な女神アフロディーテ(ヴィーナス)は、天空神ウラノスの切り取られた男根が海に落ちて、その時沸き立った泡から生まれたとされていたり、

エジプトのライオンの顔をした女神セクメトは太陽神ラーの左目から、

あるいは、象の神様で有名なインドのガネーシャ神は、母親のパールバティが体を洗った時の垢から……等、神様が神様の一部から現出するお話は、まだまだたくさんあります。

 

また、それらの神話は、近親関係間に見られる例が多く、たとえばアマテラスさんとスサノオさんは姉弟ですし、そもそもお二方とも、イザナギさんの左目からアマテラスさん、鼻からスサノオさんが生まれています。 近親者と結婚したり、あるいは交わって、あるいはやりとりの中で生まれ出る神話は世界中にあります。 一寸爺の夢見でも、私の足の親指と口内から出てきたのは、紛れもなく私の亡父でした。  

 

──輪廻を語る一寸爺

口の中から父親をつまんで出した私は、父に「成仏したら?」と促しました。しかし父は転生をしたいと言い張るのです。辛いことの多い人生であったというのに再び生まれ変わりたいとは奇特なことだと思いながらも、私は「気が済むまで、転生すればいいよ」と了解しました。
父に対して、なんだか上から目線な私ではありますが、夢見中は、それが私の「妥当」な立場だとなぜか思っていて、父の思いを受け入れることにしたのです。

この夢で、私の親指と口内より生まれ出た「父」は、「娘」である私から生れ出ることを望んだのですね。まさに、神話的な登場の仕方といえます。

この夢は、輪廻の在り方をシンプルに語っているように私には思えます。輪廻と言っても、単に肉体の生まれ変わりの話ではありません。輪廻する生命の力のことです。
生まれ出たものに還りたいとする欲求と、そこから再び生まれ出たい(転生)とする欲求。これは呼吸のように訪れます。その輪廻、循環を神話や夢は教えてくれているような気がします。

 

──強烈な愛おしさと妊婦の姿形

多くの母親が経験しているように、私もまた子供を出産後、生まれてきた彼に乳を含ませると、なんとも言えない強烈な「愛おしさ」に全身が満たされました。その時に湧いてきた切ないような狂おしいような感情を言葉にすると、「この子を(もう一度)、お腹の中に入れてしまいたい」という気持ちであることに気づき、私自身、驚いたということがありました。

つまり、子を腹に宿している、一体となっている妊婦の姿形というのが、それ自体で、愛おしさ=慈愛を現しているということです。単なる性交の結果としての妊娠ではなく、愛おしくてしょうがない「思い」の顕現として、そのシンボルとして、私たちの目には、妊婦という姿、存在が「見えて」いるのです。

もちろん男女の交わり自体が、互いに一体になりたいという愛情表現ではあるのですが、あの夢のテーマはそれではなく、男女の交わり以前にそもそも持ち得ている静かな「情熱」「温もり」が、生命を動かしていることを見せてくれたように思われてなりません。

 

──死と再生を暗喩する神話 そして夢見

生命の働きというのは、一つになりたい(統合)と、新しく生まれたい(分離/転生)を繰り返す、愛の衝動と言えますね。分離は誕生であり、死は統合です。生命の働きでいえば、誕生こそ門出であり、死は大恋愛の成就でもあるのです。まるで、この現実世界と真逆の表現に聞こえませんか?それこそが、神話の醍醐味というか面白さです。

神話の世界は、さながら鏡面のように、現実を映しています。

果たして、どちらが反転しているのでしょう。神話は、その死と再生の物語の暗喩であり、子を宿した妊婦の姿は、生きながらにして死と共にあるかのような神秘的な状態だと例えることもできます。私は「妙なる死」の状態とでも呼びたく思うのでした。

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