ミケ的奇想 vol.1

2003年~2022年3月のアーカイブ

父の回復した夢から、オポノポノを思う。

吐き気を止めるには、とにかく寝ること。寝ているときだけは症状が出ない。…なので、ちかごろは夢見のオンパレード。寝る前に父の病状の軽減をオポノポノしているからか、父がすっかり治っている夢を見た。2回目。今回のは、治癒しているばかりか、そのまま40代くらいの父に戻っていて、実物よりずっとカッコ良く登場してくれた。…ああ、これで心配がなくなった、オポノポノってすごいと、夢の中で嬉しかった。現実は日々弱っていく父。それでも、わたしはオポノポノで少しでも回復に向かってくれればと、希望を失わないようにしている。人間は、いずれ死ぬ。だからもちろん父にそれが近づいているのは間違いないし、何が起こっても不思議ではないくらいの年齢にはなっている。でも、あのゼーゼー呼吸が何年も続くのはあまりにかわいそうだ。しかしながら「こだわり」が人間の寿命を縮めているなあってことは、父を見ていてよくわかる。もう死期も迫っているのだから、おおかたのことを「もういいよ」と許して、気持ちを大らかに持ってくれれば、おそらく劇的に快癒していくだろう。しかし、当の本人はあくまでも自身の正義を信じ、その信念を頑なに握って離そうとはしない。残念なことである。でも、わたしが父の心的変化を期待し、彼に理解を求めていても何も変わらない。本質的に人の心は変えることはできない。しかし、それら「すべて」を「わたし自身」の責任と受け入れることで、この出口への希望を見出すことができると、オポノポノは語る。あくまでも父の責任だと信じているかぎり何も変わらないが、とにかく「わたしの責任」であるという前提ですべてと向き合うことで、それだけで、周囲をとりまくすべてが変化する。考えてみれば、これは神の視野だ。あくまでも周囲のせいにし続けるニンゲンの狭量な見識を、このたった一つのものの見方でひとっ飛びに凌駕する。周囲の責任であろうことは、山ほど存在する。いかにそれが正論に見えていようが、その視点を変えなければ、出口などはどこにもないのだ。すべての変革の鍵は「自分」が握っているのだとわかれば、こんなに大きなロマンはないし、これほどチャレンジしがいのある希望に満ちた冒険はないように思う。わたしはあくまでもこの位置に立つ。オポノポノをやりはじめた日から、人生は本当の意味での冒険に変わる。予期せぬプレゼントがふんだんに用意された道に変容する。イレギュラー、予期せぬ展開…ビビリなアタシですが、これからこの途上で展開されるすべてを受け入れ、ワクワクと心をときめかせ、できるかぎり楽しんでこの道を行きたい。

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