ミケ的奇想 vol.1

2003年~2022年3月のアーカイブ

なぜ男性の方が力が強いのか?

先の、「霊が通り過ぎる」現象。

喉元過ぎれば…で、一皮剥けた感のあるこの頃。

あれは、やはり、ウミ出し、だったのか?

ウミ出しは、産み出し。

 †

遡ること数週間前、個人的に、重要な気づきがあった。

私にとって、活動の土台の中に染み込んでいるほどの重要なことで、これをシェアしようと思うが、いつものように、ためらいを感じる部分もある。

(ちなみに、私は、重要なことを話す際、躊躇することが多い。

理由としてふたつ。

一つは、重要なこと故、「わかってもらいたい」と力むから。笑

もう一つは、現代の社会では、タブーに触れることでもあるから。

いや、タブーというより、誤解されやすいこと だから。)

私は、以前から、男女の性差について、めちゃめちゃ疑問に思っていることがあった。

それは、あまりに当たり前すぎて、すっかり受け入れていること。

たとえば、

「宇宙の終わりはどこ?時間のはじめはいつ?」の本質的な設問ように。

上記は、考えれば考えるほどわからなくなる、人類の命題「其の1」だと思うが、「其の2」に値すべきことが、男女の性差問題であった。

(ちなみに「其の1」については、個人的には決着を着けているが、この話はまた)

「なぜ、男性の方が、圧倒的に力が強いのだろう?」

これは、ほぼ異論は出ないだろうと思われる根源的な疑問。

どうしたって女は、男性には、肉体的な力ではかなわないのだ。

また、

学力などの能力も、男性の方が優れている面も大きい。 (こちらは、異論のある人も多いと思われる。(^_^;))

いや、私も、個人的には、女性も学力等、 「優秀な人もたくさんいる」とは、もちろん思っているが、

ポテンシャルでいうなら、男性の方が突出していると感じる。

さらに、

私は、男性の方が、「根が優しい」と感じる

女性も、もちろん、根は優しい。( ̄▽ ̄)

だから、男性の方が優しいなどというのは、語弊がありますね。

優しさの種類が違う というふうに言い直そう。笑

(こう書いてしまうと、異論を超えて、怒りを感じる女性もいると思うけれど、 最後まで読んでいただくと、納得してもらえると思う。

いや、納得どころか、本質を発見して、歓びを味わう女性も出てくるかも?)

閑話休題

優しさの種類というのは、男性の方が、

「世のため、人のため」意識が強い ように思える。

その根っこにあるものが、

お母ちゃんの笑顔が見たいために、勉強をがんばったり、 駆けっこで一等賞を取ろうとする少年を胸の中に宿しているから、

と、言えるのではないか。

女の子も、お母ちゃんの笑顔が見たくて頑張る面もあるが、 男の子の方が、その気持ちが、わかりやすく出てるんじゃないだろうか。

つまり、

男性は、他者の評価(人のため)が、行動の動機になりやすいんじゃなかろうか?

女性も、まあ、その面はあるけれど、

女性の場合、他者の評価が、直接的な動機には、少しなりにくい。

こうすれば「人の役に立てる」とか「評価が高くなる」と告げられて、

ありがたいことだと感じたとしても、動機としては弱く、

そのことに、男性ほど一途に向かえない面が、なぜか、ある気がする。

ならば、女性の行動規範とはなにか?

を、ここでは考察したいとおもう。

女性特有のこと……それは子供を宿す肉体、つまり子宮を持っていること。

子宮を持つことで、年頃になれば、少女は生理を迎え、

それによって、気分や感情が左右される。

なぜか…?

女性は、自らの肉体と感情に正直にならなければ、 妊娠、そして出産時のトラブルなど、リスクが高いから。

妊娠をする時と、妊娠を避ける時──、

女性は、「自分」を、「知る」必要がある。

妊娠と出産は、古代には、今よりもっと危険を伴うものであったろうし、

女性は、それだけに、肉体──子宮と感情、思考を調和させている必要があった

他者の評価、人のため……なんて言ってられないのだ。

他者からの評価などは、自分の感覚的な研磨の大切さには及びもつかない。

この観点で見れば、自然にわかってくること。

男性が、圧倒的に「体力と、知的に処理する能力」に長けているように、

女性は、圧倒的に「直感力」に長けるのだ。

本来、そんなふうに、自然は手配した ということが感じられてくる。

女は、まずは、自らの感覚を研ぎ澄ますこと。

そして、この感覚は、自然現象とも、本来的には、共振共鳴している。

女性の肉体は、自然の受信機としての子宮を持つと考えると、

ほんとうは、宇宙とのフラクタルな関係にあるだろうと思える。

自然の現し身。映し身。

つまり地上の調和と、そもそも共鳴しているので、

女性は、自分の感覚こそマスターをして、宇宙を表現することこそ、

地上の在り方として、本当の正解なのだと、思えるのだ。

(だから、京都タロットは、ええツールなんじゃよ〜…( ̄▽ ̄)v)

明治、そして大正期に、‘らいてふ’ さんが、拳を上げて叫んだ言葉

「元始、女性は太陽であった」 を、

この令和では、拳を下ろして、淡々と話したい、と私は思う。

卑弥呼が執政していた時代、男女の性差は、現在とは、全く違った活かし方がされていたように思う。

自然との調和を重んじるなら、 地上の調和を受信できる能力の高い女性は、まつりごとに向いていただろうし、

自然との調和を重んじるなら、体力的に強靭であり、かつ、優しい男性は、 その調和の実現に尽力する役割があったと思われる。

そうやって、男女のバランスは、地上で絶妙に測られることは可能で、

本来は、そこには優劣は、ありえないはず。

男性社会の現在は、目に見えているものがすべてだから、

目に見えて力があり、体力があり、知的な能力のポテンシャルが高い男性が、

社会を仕切るべしになってしまうし、

力の面で劣っている女性は、その隷属的立場にならざるを得ない状況ができてしまう。

しかし、もし、女性の直感こそがすべてという

女性優位の社会があったとするなら、

直感を受信できる女こそ王者で、その能力では下回ってしまう男性は、

隷属的な立場になってしまうことはありえるだろうとも思える。

力が強く、お母ちゃん&嫁さん&女性 を喜ばせたいという、

自分が受信した直感よりむしろ、他者からの評価を重要視する、

男性の優しい性質をも、調和の上では活かせるかもしれない。

男性は、内に少年を宿し、女性は、内に宇宙を抱える。

幼い少年は、母から天のエネルギーを得ようと、かーちゃんに甘える=天得る(あま・える)と聞いたことがある。

母親に大いなる宇宙を見るとは、実は男性は、よりロマンチストということにもなるだろうし、男性の優しさの根っこが見える気がする。

一方、「そもそも」自分の中に宇宙を包括する女は、深いところで、男性を必要としない面があるのではないだろうか。

肉体的には、男性よりずっと弱いはずの女が、かくも強く、図太いのかと言えば、「そもそも」の理由が、お腹の「宮」にあるのではないだろうか。

はるかはるか遠い昔、女が「みことのり」を受信し、主導して「まつりごと」を行い、

男は、ひたすら支えている奴隷時代があったのかもしれない…などと妄想するのは、

思いあがりかもしれないけれど、ちょっと面白い。(^ ^)

しかし、そんな男女逆転社会であっても、互いに敬意がないと、パートナーシップは成立し得ないし、豊かな社会にはならないだろう。

さて、改めて、だけど、

これは、もちろん、個人差があることで、一概に言い切れない。

だから、ここは「傾向として、ある」というふうに、読んでいただきたく思う。

男性でも、女性以上に直感が鋭い人はいるし、 女性でも、他者評価が大きな原動力の人もいるだろうし、東大王もいる。笑

いずれにせよ、どちらかの性に偏重することなく、 互いに活かし合える関係は、模索していかなければと思う。

(ただし、あまりにも男性性偏重の時代が長かったので、その揺り戻し的に、 今後、女性性が強くアピールされることになるだろうことは想像できるし、 それは、バランスの意味でも、必要な過程であると思う)

そんなわけで、最初の話、

このような気づきが起こったことで、

私は、パートナーである夫に対して、強い憤りを感じるようになってしまい、

もっと、自分たち女性は、男性にかしづかれるべきではないか?

…のようなキテレツな気持ちが出てきて(笑)

そこに、かつての「女」が取り憑くような隙ができたのだと思う。

女性性の大反乱。

今後、多くの女性に起こりうる気持ちの移ろいであると、予言しておこう。( ̄▽ ̄)

でも、大丈夫。

これは、あくまでも、過程。

女性はもちろん、男性にとっても、もっと豊かに、もっと幸せになれる前兆でもあるという確信がある。

まずは、女自身が、自らの中のウミ出しをしとかないと、 次なる調和や進化はないのだから。

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