どこから、どう書いていいかわからん。(^_^;)
ちょっと薄気味悪いハナシだけれど、ちゃんとオチがあるので、安心してご笑覧ください。はい😅
家の書斎を奇想庵として本格的に稼働させようと思って、今まで放置していた書類関係を、ジャンル別に整頓していた。
30年近く前のものもあって、懐かしく眺めつつも、10年に一度も見ることもないだろうと思われるものは、思い切って捨てることにした。
ファイリングしていたとは言え、黄ばんだ書類は埃っぽかった。
ひょっとすると、マスクをしていれば、何か変わったのかもしれない?
埃を吸って、咳込む。
作業を続けるうち、喉のイガイガっぽい感じが止まらなくなり、咳が出続けた。
しばらくして、わたしは、なんとなく不機嫌になっていることに気づく。
???
何かを吸った!と思った。
案の定というか、それから数日の間、夫に対して、抑えていた怒りが噴出してきていた。
沸騰というか、噴火というべきか。(笑)
何かを吸った…という自覚もあるし、そもそも思考や感情というのは「自分のもの」ではないこともわかっているので、そこそこの客観視も自然にできていたはずだったが、今回のは、やたらキツく感じて、気がつけば、「怒り」と「自分」を同一化してしまっている。
毎晩のように、夫に文句をいっていた気がする一週間。( ̄▽ ̄)
だいたい議題はいっしょ。
「愛されている気がしない。もっと露骨に愛を表現してくれ」という私(←タチ悪い)に、
「こんなにやっているのに、どうして気づけない?これ以上、求めてくれるな」という夫。
顕著にわかったのが、朝、夫の出勤時、「いってらっしゃい」という私に目を合わせなかっただけで、イライラする自分を感じたこと。
心の奥で「愛してくれ、愛してくれ」と、激しく叫んでいる感情を感じながら、「女だ」と思った。
あの埃の中に、昔、成就されなかった「女」がいた。
報われなくて泣いている「女」がいた。
でも、それは、「女」が悪いわけではないのだね。
よくラジオの周波数にたとえられるように、こちら側にも、同じ波長が出ていなければ、受信することは絶対ないのだから。
仮にそれが微弱なものであったとしても、私の中に、同様の感情がくすぶっていたからこそ、異様な怒りと渇望に襲われていたのだ。
私は、(多層な意味で)私でもある、この「女」を癒したいと思った。
ただ、一人では難しい気がして、占星術師の友人の、お抱えの霊媒師の方を紹介してもらうことにした。
「霊媒師」という方と接するのははじめてだったので、お話しするまでは、個人的イメージで「怖い、厳しい人だったらどうしよう?」と思っていたのだったが、果たして、M先生(霊媒師さん)の大らかで優しいお人柄は、一声聞くだけですぐに感じることができて、安心してすべてをお話しできた。
結論からお話しすると、私は、いたく感動してしまった。
「何にもないわけではないが、何にもない人などいないし、だれだって『霊が通り過ぎる』ことはあるよ」とM先生。
私は、この一言で、大事なことに気付かされ、心から安心した。
つまり、風邪を引くのと同じようなものなのだと思った。
生きていれば、だれでも風邪を「もらう」ことはあるように、生きていれば、だれでも霊を「もらう」こともある。風邪が自然治癒するように、この程度のものは、自然治癒できるということ。ぜんぜん「たいそうなこと」ではないのだ。
風邪と同じように浄化作用なんだから、そこに抗わずとも、見て味わって、浄化させてもらったら、全然違った在り方の「私」が現れる。
もっと大きな視野で言えば、むしろ、そのために、新たな自分の発見のために、その現象は現れる。
単に、前向きに定義し直すことができることを発見。私が「決定する」ことができる。私が決めたようになっていくこと、、本質的に自分が創造主であったと再発見するに至った。
おそらく、その「女」と共に、何らかのウミを出したのではないだろうか。
奥に、何かを持ったままで、その次には進めないので、そのウミとなっているものが「女」を引き寄せたと考えられないだろうか?
次に進みたい、腹のウミを出したいという私の「本音」が導いた、一種の荒療治💧
まあ、それはそれとして、翡翠のペンダントは、一種の魔除けになるということを教えていただいた。(あ、もちろん、それを販売されているとかいうシステムではないよ…笑。単に情報)
あと「玄関の樹が守ろうとしてくれているので、大事にしてあげてね」と。
いや、めっちゃ難易度の低い対処法やん。笑
私は個人的には、依存心を起こさせるものは、時代に逆行していると考えていて、霊媒師さんという在り方自体が、そういうものだとちょっと斜に見ているところがあったけれど、いや、あたりまえだけど、人によるもんですね。
しっかりとした軸のブレない人というのは、霊媒師さんであってもなくても、そんなところを刺激しないし、むしろ、必要なら突き放してくれるという大きさがある。
中には「日常生活ができないくらいの人はいる」らしいけれど。
そんなわけで、「女」からもゆるっと脱却。
次々に、新しい祈りと、新しい在り方が生まれる。
夫には申し訳ないけど、こんな変人をパートナーに選んでしまった責任として、これからも付き合っていただこうと思う。かくごしぃや〜😎