このごろ、なんども《拾弐 アダシノ》をひく。
現在のリアルテーマ「ゆだねる」という在り方を、ここにも見る。
ゆだねることは、本当の発見のための序章。
というより、存在状態そのものとも言える。
京都タロット自体が、ゆだねる ことを示唆するものと感じているが、
《拾弐 アダシノ》は、その中でも、
「わからない」という 原点 を教えてくれる。
どうしていいか わからない
なにも わからない
これを、わかろうとしない姿勢
そこにこそ こたえがあることを 尊ぶ。
そんな姿勢を教えてくれる。
わかろう と 前のめりになる 私自身のクセのある生き方に、
STOPをかけるとき、
《拾弐 アダシノ》の少年の中に、私を導く。
彼は、これでいいのだ。
私も、これでいい。わからなくていい。わかるはずがない。
ここにとどまるという 絶望は、
その苦悩に導かれ 手を離せることを 学ぶ。