ミケ的奇想 vol.1

2003年~2022年3月のアーカイブ

失夢を超えて

 朋百香さんが描き終わって、いよいよ私にバトンが渡されたあと、実を言えば、丸1年くらい、何も書けない時があったことを白状する。  それは、こんな経緯。    京都タロットを精錬させたかった私は、20年以上はまっていた『悟り≒非二元』探求にますます執心していた。今思えばアホみたいだけれど、その時は大真面目に「悟りを得れば、さまざまな苦悩から解放され、京都タロットは素晴らしいものになる」と思い込んでいた。  朋百香さんやHさんなどの関係者の方にさえ言わなかった(言えなかった)けれど、内心「その境地に至るまで、もうちょっと待ってて」となどと思っていた。かなり切羽詰っていた。    ありがたいことに、その後、Pさんという方と運命的に出会い、彼女とのやりとりにより、「私はいない」ということに単純に気づいた。これは悟りと言えば大げさで、ただ見ることによる「ただの発見」だった。膝カックンされた程度のあっけないくらいあっさりとした、薄味の(笑)体験。    その後、前の日記に書いたこともあったけれど、振り返れば1年近く「失夢」と名付けた状態に陥った。失夢というとネガティブな想像をされるかもしれないが、実際は、ネガティブでもポジティブでもなく、ただ向かうべきところ(夢)を道端に落としてしまったような、非常に淡々とした精神状態にはまったのである。いやぁ、探求してそれを知れば、素晴らしいものができると思っていたのに、蓋を開ければ、夢とやる気(←気力自体ではないのだが)が見つからない。そう、「あった」やる気が「なくなる」というのではなく、それが、どこにも「見つからない」のであった。    しかし、時の流れとは素晴らしいもので、(またPさんとのその後のやりとりもあって)、永遠に失ったように見えた夢がゆっくり静かに蘇ってきたようだった。そして、家族(とくに夫)との関係性なども、振り返れば、劇的に変わっていったのである。当初は満たされてはいたが、淡々としているばかりであった感覚で「あえて何も考えたくない」なんて思っていたのだが、「考え」というのも、まとまってきた。    それは、言葉にすれば、こんな考えである。    気づきの状態が大切…って心のどこかで思っていたから、失夢状態に陥っていたのであって、気づきにしがみついているのも不自然なこと。なんであれ、状態は来ては去っていくだけ。気づきすら捨てたら、私は自由であるし、私が知ることは何もなく、知る必要なんて何もない。ただただ思うままだ。    うん、気づいたと感じたことを捨てたのであーる。( ̄▽ ̄)v    わかってもらえるかわからないけれど、苦悩から逃れるのではなくて、悲しみも悩みもより深く。  喜びも愉しみも全身で。  ただ、あるようにある。悩んでいたら、そこから逃げずに悩む。  逃げたかったら、逃げる。(←もう、わけわからん表現;)    すると、おもろいことになっていた。  苦悩もある。小心も傷心もある。でも、それでいいと気づく。  今までと何も変わらず、苦悩も傷心も恐怖も、あるいは挫折すら、より深く受け入れることにはなるけれど、たった一つだけなくなったことがあった。  それは「葛藤」だ。葛藤だけが落ちた。それが解放だった。自由だった。         ∞     あの日からまもなく1年を迎えようという今年の5月のある日。  突き動かされるほどに激しくもなく、ただふと「書こう」、京都タロットを「書こう」と思った。なにしろ、それは、すでに目の前にあった。美しい姿で。    それから、今に至る。     私は、何も変わらなかった。時には嘆き、びびってしまうこともある。  人に気を遣いすぎて、疲れてしまうこともある。  こういうこと、すべてきれいさっぱり無くなることを期待していたのだけれど、何も変わっていやしない。  ただ、それでもいいや…と思っているので、何も変わっていないくせに、もんのすごくラクで自由なのである。    私は私を取り戻した。  何も変わっていないのに。(笑)    変わっていないと思えるんだけれど、振り返れば、だいぶん変化したかも?と感じることもある。  苦悩を受け入れたことで、身近なものへの愛しさが倍増なのですよ。  ボンはもちろん、夫も娘も、愛しさでいっぱいで、彼らと一緒にいられるという幸せもまた色濃い。    

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