久々の更新。展覧会も近づき、こちらのブログももうちょっと思うところを書いていきたい。ここは、あくまでもB面。気どらずに語れる場所であーる。 朋百香さんのカード絵解釈を書きながら、いつもいつも感じること。「これは、私が考えたんじゃない」と。 朋百香さんにテーマを与えたかもしれない。でも、違う。じゃあ、このテーマを私に与えたのはだれよ? 朋百香さんの絵は、いつもテーマを超えていた。それを指摘すると「自分でも分からないから、降りてきたものを描く」と。「降りてきたものしか描けない」とも。私は朋百香さんの降りてきたものに任せることに、割と早くからチェンジできた。振り返れば、これが何よりも良かったと思える。「私が」コントロールしたことがほぼなかったことで、一分の疑いもなく、ここまで来られた。 京都タロットのカード絵は朋百香さんが描いたものだが、解説を書きながら感じることは、それは、最初から、そこにあった。私が考えたんじゃない。すでに完成していたものを、私は解釈させてもらっている。原案と言われることに、少しだけ躊躇がある。自分は原案者じゃなくて、すでにあるものの解説者。どうにも不思議だけれど、そうとしか思えない。