ミケ的奇想 vol.1

2003年~2022年3月のアーカイブ

子どもは神秘の体現者

日曜の朝のこと。 お寝坊のママより早く起きる6才の娘は、着替えを済ませ、ベッドでまどろむ私のところにやってきて、何となく興奮気味にこう言った。 「わたし、いつも朝になると思うんやけれど、朝、起きると、おもちゃが新しくなっているように見えるんや。なんでやろ~?ママ…」 興味深く聞いていると、彼女は続けて言った。 「おともだちも、そうやで。みいちゃんも、まやちゃんも、昨日まで遊んでけんかしてても、朝は、みんな新しいお友達に見える。みんなすっごいかわいらしいな~って思えんねん」  私は、ほんとうに感動してしまった。 娘は、眠ることで、毎朝「生まれ変わっている」のだ。 だから、朝起きると何もかもが新鮮に見えるのだ。 私は、こんなメルマガを出しておきながら、この朝の新鮮な感覚を、いつのまにか失ってしまっていた。 ギリギリまで眠り、お弁当を詰め、駆け足で通園&通勤電車に乗り込んでいる。 新鮮さを味わう余裕などみじんもない情けなさだ。 今ではそんなわたしだが、かつては、コレを経験していた。 というより、強烈に体験していた。 だから、娘の言ったことが、どんなことなのか、私は生々しく想像できる。 これが、三昧の境地と言うのだろうか? 静かな興奮をともなって、辺りがきらめいている。 「幸せでしかたがない」という状態だ。 強い強い、心の状態だ。 この時の輝かしさは、どんな言葉にもできなくて、言葉にすればするほど幼稚なものに変わってしまうよう。 私はときどき目を閉じて、言葉ではなくて、あの「感覚」を全身に呼び覚まそうとする。 彼女は、今、そうなのだ。 私は、感激で胸がいっぱいになる。 ああ、この静かなるものが、どうか生涯、彼女を励ましつづけますようにと祈る。 今、まさに、娘のまわりには神秘があふれ続けているのだろう。 だから、あの娘は、毎朝誰よりも早起きをして、一人でお絵描きを楽しんだり、おもちゃで遊んだりしていたのだ。 神秘性と現実的な歩みはしっかりと共存できる。 むしろ神秘性を追求すれば、現実的なものが、より色濃く感じられるはずなのだ。 私は、そのことを娘に改めて教えてもらった気がする。 こどもはマジカルの体現者。 夜の夢は、朝の生まれ変わりを約束する。 眠り自体がすでに神秘なのだから。 逆に言えば、神秘性が現実につながっていなければ、ましてや現実逃避になっているようであれば、それは神秘でもなんでもないと知っておくべきだ。 良くて、暇人の暇つぶし。悪けりゃ、病だ。 自分の神秘が、どっちに向かっているのかを知る簡単な方法が、 「今朝、新鮮であったか?」 「その新鮮さは、前日、喧嘩をしてしまった友(憤った人)へのこだわりを払ってくれているか?」 の一点を、常に自分に問いかけることからはじまる。 ……と、あなたに話しながら、私も自分の衿を正そう。 私たちは「毎朝、生まれ変わっている」のだから。

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