ミケ的奇想 vol.1

2003年~2022年3月のアーカイブ

自己嫌悪感の取り扱い説明

自分のダメダメぶりに遭遇した時、私は、この「ダメダメ」を克服する方に努力せず、「ああ、アカンタレや〜」と落ち込む方を優先する。

ダメダメ駆逐というのはいたちごっこで、克服したところで、遅かれ早かれ、次なる「ダメダメ」に遭遇することは明らかで、その都度、克服するのがホネ、というかキリがないから。

 

実は、落ち込む方がずっと楽なのだ。

「アタシってアカンわ」と、あえてずっぷり自己嫌悪に入っていくとき、(これは大きな声で言ってはいけないかもしれないが)、心の奥底で、もう一人の私が「ニヤリ」と笑っているのを感じる。それでも、そんな不埒な私と戦わず、「ほんまにアホアホ…」とつぶやいてみるときに、ある甘美な感覚が体を流れていく。

そのときに私が感じていることを白状してしまうと、落ち込んでいるようで、実は「なりきっている」だけというカラクリに気づいている。この面白さと、陶酔する自分への気色悪さの合い混じる感覚を、さらに冷静な私が見ている。

 

私は、自分の気質については理解しているので、この方法が楽であり、さらに深層域に触れるような愉楽もあったりするので、以前は、オススメをしていたこともある。

 

自己嫌悪感を抱くたびに、その感覚と戦わず、その中にずぶっと入ることを繰り返すうちに、その感覚の正体が体感されてくるから。

 

きちんと理解すると、自己嫌悪というのは、単なる反応で、恐れるものでも、忌むべきものでも、ましてや乗り越えるものでもないことがわかる。要するに、水蒸気が発生すると雲になって、凝縮されると雨が降る…という天候のようなものだから。

 

あえて言うなら、それはただ味わうだけでよく、観察対象(←そんなお堅いものでもないが)。

しかし、今は、特別オススメもしない。

 

かつては、自然現象に対して、それを克服しようとは、なんだか不自然で、しんどくて、やってはいけないことのような気がしていたが、個人によっては、その方が「楽」で、人生がイキイキするってことはあるだろうと思える。

つまりは、個人の気質によるものだと、今は思っている。

 

ある側面で言えば、自己嫌悪を克服するというチャレンジを通じて、近代的な進化は遂げられてきたとも言える。

だから、「克服」ももちろんアリ。克服しながら、新しい様式を学び、新しい自分を手に入れるという方法は、永いこと「ポジティブ」なこととして、取り上げられてきたこと。それはそれで素晴らしい。

 

一方、ネガティブ進化とも言うべき(笑)、現れた嫌悪感の中に、自ら進んで入る方法も、人(気質)によっては、かなり有効だと、少し念押ししておきたく思う。

 

 

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