夫のシャツを梱包していた袋の中に、こんな面白い形をしていたクリップを見つけました。
この形を見て、すぐに脳裏をかすめたのが、ホロスコープの海王星マークです。
このマークの元になっているのが、ギリシャ神話に登場する海神ポセイドン。 シバ神も同じものをお持ちですね。
これを三叉槍(さんさそう)と呼びます。三又のヤリ。 トライデントとも言いまして、「三つの歯」という意味です。海の神様が持っているということは、もともとは魚を捕獲する銛(もり)の役割だったのでしょう。 しかし、このトライデント、ただの銛とは違います。洪水を引き起こしたり、泉を沸かせたり、摩訶不思議な力が宿っています。ポセイドンは嵐と地震の神として恐れられていますが、三叉槍はいわば破壊の力を象徴しているようです。 破壊神といえば上のシバ神もそうですね。インドにおける創造と破壊の大神です。
毘沙門天さんの持ち物にも、この三叉槍は定番です。鞍馬寺にある国宝のこの毘沙門天像さん。こちらの三叉槍は海王星のマークより天王星のマークの方が近いですが。 それにしても、迫力ありますね。遠くを見渡すこのポーズ。どこに隠れていても見つけだされそう…。
あの空海さんが護摩祈祷するときに使ったという密教法具、三鈷杵(さんこしょ)。空海さんの肖像画の多くは三鈷杵を持っています。おそらくですが、三叉槍(とそのパワー)が由来なのではないでしょうか。 まだ、天津神と国津神の区別のなかった太古の時代、古事記では「国産み」の伝説として知られていますが、イザナギさんとイザナミさんが、まだ海もなく山もなく混沌としていた大地をコンロコンロとかき混ぜて、その切っ先から滴った雫から島ができたものが日本国土の始まりであると神話は語ります。
この時に手に持っている道具を天の瓊矛(あめのぬほこ)と言います。宮崎県の高千穂には、このような天逆鉾(あめのさかほこ)の像もあるようですが、よく見れば切っ先が三又ですね。ちなみに天逆鉾というのは、天の瓊矛が「逆さ」に刺さっているところからそう呼ばれているそうで、天の瓊矛と同じものです。 槍や鉾には、破壊だけではなく、そもそも「創造」の力も宿っているとされたのは、このような神話が根拠になっているのでしょう。 では、さらにここで、もっとその奥を探ってみましょう。 なぜ、槍や鉾が創造のモチーフとなっていったか、そのはじめのはじめを。 神話の根源を感じたいと思います。 これらの槍をじっと見てください。 確かに、ただの武器というより、何か不思議な力が宿っているような気になりませんか? そして、その上で神話を浮かべてみましょう。
コンロコンロと瓊矛をかき立てて島を造るというくだりは、男女の交わりを示唆すると解けると思いますし、そのように解説する神話学の本もあります。切っ先からしたたり落ちた雫から新しい島ができるというところも、なるほど ですね。笑
さらに、根源的な感覚について、もう一つ面白いことに気づきました。 槍や鉾というのは、非常に男の子が好むアイテムであること。
幼少期、男の子たちは、なぜか「棒」をいつも手にしています。お子さんのいらっしゃる方は思い当たる方も多いのではないでしょうか。 幼稚園では、紙を長く丸めてライトサーベルのような剣を作ってきますし、公園に遊びに行くと、どこからか長い木切れを見つけ出して振り回しています。イベント会場で珍しくかわいい風船アートのところに群がったと思えば、刀を作ってもらって男の子同士で戦っています。
このような姿を見せてくれるのは、ほぼ男の子です。女の子の中にも剣を振り回している子はいますが、かなりの少数派で、ましてや女の子同士で棒切れで戦っている姿は見たことがありません。
うちのボンが5歳の頃に作っていた、剣の一部。毎日のように作ってきますので、無限に増えていくアイテム。そういえば、長女の保育園時代に、剣を作ってきたことなどは一度もなかったと記憶しています。
剣、槍、鉾…長い棒というのは、男の子心をくすぐるのでしょう。 この男の子心というのが、まさに「創造」と「破壊」の原動力。 「男性の闘争本能」という言葉、今までは全くしっくりこなかったのです。「闘争」自体が「本能」というところがうそっぽくて、戦争を正当化したい人の作為的な嫌な言葉に感じられたものでした。 しかし、男児らが剣を振り回したがる「男の子心」を目の当たりにするとき、創造と破壊の原動力に触れたような気持ちになり、やっと納得できたのでした。
「剣」「槍」「鉾」というのは、創造と破壊の象徴であり、そういった男性性のシンボルともなっているのですね。 彼らはそれを振り回して破壊し、それを振り回して創造します。ともに「拡張」です。 破壊と創造は、一見すると真逆のものでありますが、神話的に眺めれば、拡張という名の下に同じものであることがわかります。コインの表と裏。ワンセットなのでしょう。
剣は「拡張」のシンボルでもあります。それは、若々しく好戦的な男の子たちのロマンの象徴ということもできます。冒険譚の表紙には、それを物語るような剣の意匠を多く見かけます。
男の子たちにとってのロマン、それは愛なのでしょうね。 女性性からみれば、破壊が愛というのは、うそみたいというかアホみたいというか(失礼!)、どうにも釈然としないものがありますが、少年たちが拡張せんと嬉々として戦う姿を破壊とするなら、それはまことに創造に似て、愛と等価なのかもしれません。
※剣についての考察のきっかけも書きました。→ プーチンさんとイザナギ考 剣のテーマは、もうちょっと続きます。 あなたの中の「剣」性、剣のシンボリズム。わかってくるとちょっと楽しいかも?!
追記:この記事について、ちょっとお詫びをさせていただきます。 記事の流れでは、さんざん三叉槍や三鈷杵について触れているのだから、本当なら「剣的なものと三(3)」というシンボルの組み合わせについて書くべきだったと思います。
この点を交えながら考察しております。→赤い服を着た俳優の夢から剣の宮への考察