ミケ的奇想 vol.1

2003年~2022年3月のアーカイブ

まったき共有から

私には、画像のカラスらに「思考」なるものがあるのかわかりません。ひょっとしたら、その都度の「反応」のみなのかもしれませんね。
とは言っても、カラスは百年生きるらしいし、たぶんプランクトンよりは、なにがしかの「知性」は働いているでしょうから、思考の萌芽のようなものは、あるような気はします。
彼らは、同じ方向を見ている。
視野が同じところに向いていることによる、何らかの共有があります。「何らか」というのは、たとえば「あの樹の幹に虫がいるぞ」「ああ、本当だ。獲物だ」などというような、二羽にしかわからないテレパシックな会話をしているというより、同じ空間に完全にあることで生まれる共有──まったき共有とでもいうようなもの。

彼らは、相手との間に「違い」というものを自覚しているのでしょうか?
自分の見ているものが、相手の見ているものなのか、自分のものなのか、曖昧なのでは?
…というより、カラスの世界にそもそも「自分のもの」という概念が存在するのでしょうか。
概念が無ければ、「自分」と「それ以外」という人間が前提としている世界と、彼らの見ている世界はちがうものであると推測できます。

ちょっと面白い実験。
写真のどちらかのカラスになったとして、そこに同化してみましょう。
いかなる概念も持たないし、鏡もないから「自分」というのも、知らないこととして。

隣に映っている別のカラスは、「即、オレ」という感覚。
背景の青空も「即、オレ」。
いや、「オレ」なんて、はじめから思っていないかもしれないから、そうなれば、ただの「……即」。
回顧、回想する何かがなければ、世界は、今、そこで展開している「…即」しかない。

それが、世界。世界のすべて。

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