ミケ的奇想 vol.1

2003年~2022年3月のアーカイブ

欠点変容

自分の欠点が、いつのまにか長所になっている。

そういうことはあるね。

 

わたしの場合、

ヘタレという属性を活かした結果、

物事の本質を見る

という方向性に

意識の全体を使えるようになった

と言える。

 

ヘタレで、ヘナチョコな面は、

長いこと、

私の生きづらさとして、

私の克服したい性格として、

私自身は、認識していた。

 

そして、人生の一時期、

20代から30代にかけて、

(40代の半ばごろまで、少し)

 

私は、いったん、克服したような顔ができていた。

 

ある意味、

強い、精神力で。

 

精神力なんて、ほとんど ない のに。

 

「これは わたしじゃない」

「なにかずれている」

「おかしい」

 

という、辛さが、次第に看過しがたくなってきて、

ちょっと無理をしては、倒れる

という状況を、繰り返していた。

 

もう、無理だ。

 

私は、なんど、この言葉を言ったのだろう。

言わなくてはいけなかったのだろう。

 

そうやって、無理 を、がんばらせる方向ではなく

(倒れるから)

 

無理を、単に 無理しない という方向に変えていくことを学ぶ。

 

簡単 だった。

単純 だった。

それだけのこと だった。

 

そうすると、もともとの どうしようもないヘタレでヘナチョコが顔を出し、

「ああ、本当のわたしは コイツだった」と、

認めるにいたる。

 

すると、私の、全力 というか、

全神経 というか、

全エネルギー というか、

全霊が、

わたしが わたしであることに向かい出した。

 

ヘタレ とか ヘナチョコ という

地上の性格性質的属性を超えて

むしろ そんな「キャラクター」を心地よい踏み台にして

新しい「わたし」探求への好奇心がむくむく湧いてくるのだった。

 

わからない が 原点

このごろ、なんども《拾弐 アダシノ》をひく。
 
現在のリアルテーマ「ゆだねる」という在り方を、ここにも見る。
 
ゆだねることは、本当の発見のための序章。
 
というより、存在状態そのものとも言える。
 
 
京都タロット自体が、ゆだねる ことを示唆するものと感じているが、
《拾弐 アダシノ》は、その中でも、
 
「わからない」という 原点 を教えてくれる。
 
 
どうしていいか わからない
なにも わからない

 
 
これを、わかろうとしない姿勢 
 
そこにこそ こたえがあることを 尊ぶ。
 
そんな姿勢を教えてくれる。
 
 
わかろう と 前のめりになる 私自身のクセのある生き方に、
STOPをかけるとき、
 
《拾弐 アダシノ》の少年の中に、私を導く。
 
彼は、これでいいのだ。
 
私も、これでいい。わからなくていい。わかるはずがない。
 
 
ここにとどまるという 絶望は、
その苦悩に導かれ 手を離せることを 学ぶ。
 

卍スプレッド その1

先日、kindle端末を紛失して、

そこでピン!ときた、失せ物探しスプレッド……の続き。

 ※ちなみに1週間前からインスタ↑をはじめまして、そちらに書いてます。

 

その後、ひらめきが降りてくるのを待っておりまして、、、

……ついに、完成す!の巻✨✨

 

鳥居法の変形パターンで、こんな風にならべた。

たまたま左右対称になっていたので、失せ物探しであるのはもちろん、

「スプレッド」自体への気づきをもたらすものだと判断。

そのつもりで、心して、見る。妙にワクワク〜!

 

鳥居法の場合、中央は最後に返すのだけど、このスプレッドでは、最初にめくる

中央が、正位置か逆位置かで、他に展開するスプレッドが決まる。

 

今回は、逆位置だったので、逆位置のところだけ展開。↓

わかりやすく「たろう」さんが、ドン!と、西に鎮座

(※ 注意:鳥居法の場合は、ここが東にあたるが)

我が家は3階建てなので「中階の西」を中心に探す……と解く → 見つかる。

 

ただ、このままの鳥居法の変形では、なんだか洗練されておらず、

ちょっとどんくさい。

もう一度、裏を返した展開図を見ると、

左右は対称だが、上下がちょうど凹鏡面のようになっているのがわかり、

このポイントが、もさっとしている理由だと感じて、それぞれ1枚ずつ外すとすると、

9枚の美しい配列ができる。

 

しかし「失せ物探し」というテーマなので、さらに、もっとピッタリくる「何か」がほしいと思っていたところ、見つけた!

カメラマン、さとこ女史のインスタで出てきた卍シリーズのこの卍。

まさに、これ、カード配列ちゃうん❣️まじまんじ〜^^;

 

卍の文様の、この世の二元性を表すような2画と、その書き順が、

時空の交わる様子を彷彿とさせ、失せ物探しというテーマにも美しいばかりに合致する。

これ↑は鳥居法の変形だけど、

このように↓

卍のスプレッドに洗練させることができる。

最初の写真は、裏向きに並べる順=の筆順。

2枚目の写真は、真ん中の星⭐️を最初にめくる。(厳密にいえば、めくらなくてもいい場合も多いはず。正逆位置を確認するのが優先)

これにて、失せ物探しに役に立つ卍スプレッドの完成と相成ったのであーる。

 

しかし、だがしかーし、まだ精査しきれていない大事な核があり、

いろいろとご質問もあると思うので、

もうちょっと詰めたところを、また今度、お話します。

 

「焦り」を落とすと

思えば、長い間、私は「焦り」というエネルギーを握っていたように思う。

時には、それを持っていないようなふりをしていたけれど、

たとえば、

なにか、ソワソワする具体的事象が「ない」時でさえ、焦りを味わっていた。

 

いや、もっと厳密に言おう。

ソワソワ感を、選択していたのだ。

 

ほぼ自動的に、その感覚に周波数を合わせて、

ソワソワしていたにすぎないのだけど。

 

でも、今日は、どういうわけか、

私は、ソワソワ感を抜けることに成功した。(あるいは、外した)

 

とても、単純な話。

 

ソワソワを味わっていること、焦りを感じていることに、気づいた。

そして、「焦っているということは、委ねていないこと」

というフィーリングがきた。耳を傾けた。

 

「だったら、委ねよう。全部。」と素直に思えた。

 

焦りが 落ちた。

 ……

(ちょいと説明が丁寧すぎる……^^;)

 

 

安心。

一言で言えば、安心。

 

そういう心境に包まれている。

 

そう、これが、欲しかったんや。長いこと。

 

何かの栄光や勲章や手柄なんかではない。

ましてやお金なんかではない。

 

こう書くと、物質的なものを否定しているみたいだけど、

そうではない。

 

物質の否定ではなくて、

私の心から欲しかったものが、物質ではなかったという、

発見。

 

この感覚が、私の中で、立脚 する。

おそらく、私の近い将来、現実的な出来事も、

安心を覚える何かが起こるのだろう。たぶん。

 

 

 

かよこさん

おねえさんのような方と、午後のひととき、いっしょに過ごす。

すぐ近くのお寺さん。ご本尊の前。

この1、2ヶ月のお互いの諸々のお話を、聞いたり、話したり。

 

私の話すことばを、そのまま理解してもらい、

私も、彼女の話すことばがするりと入る。

同じ死生観を持っていることがわかり、

きつかったこと、そして、これからのワクワクと……。

なんだか、すごい世界になったものだ。😊

 

理解しあっているものは、たぶん、

会話の内容というより、そのメロディーのようなものだと思える。

 

安心。

ひとことでいえば、安心。

 

家に帰って、こころが震える。

 

今、この時、

私たちは、近くにいる。

近くに住んでいる。

 

すごい。

こんな理解を、この近さで、共有し合っている。

 

そういう人に巡り合っているこの現実に、

私は今、感動している。

 

ららら感

夫から貸してと言われて、kindle端末機を紛失していたことに気づいた。

 

最後にさわったの、いつ?

いつもは、ここに入れているのに…。

とっさに探し回る。

 

ただ、これだけのことで、

穏やかな気持ちが、一瞬にして曇る。

 

あまりにもナチュラルだった「曇る」反応。

 

先日、至福感に包まれたおかげか、

「あ!(そんな必要ないのに)対処しようとして、曇ってる」

と、わりとすぐに気づいた。

 

ゆっくり呼吸に意識を向けると、胸のあたりから、

「あ〜♪ ラララ〜〜♪」と メロディのような感じが湧いてきているところに、

焦点を当てる。

 

(もう、ここにさえいればそれでいいんだけど、

ちょっとした珍事があると、

「珍事への対処」という在り方に、

一気に、こころが向かってしまうね)

 

……ららら感が気持ちいい✨ 笑

 

夫に「きっと出てくると思うから、ちょっと待って」と言う。

そして、「とっさに探す」という在り方から離れる

 

心に

「今、ここ が 教えてくれるから大丈夫」

というフィーリングが流れる。

ほっとする。

 

そのとたん、

「あ、これは、このまえひろかもちゃんから教えてもらった方位のタロットで試せるかもしれない!」

と気づいた。

 

強烈に、ワクワクしてきた✨✨

 

ほんま、完璧✨ と感じながら、

思いつくまま、新しいスプレッドで展開。

 

こたえが、トントントン と落ちてくるように感じた。

 

指南書のリーディング法についても書いたけど、

こうやって、「自分」を感じる方に意識を使うってことをする。

これを、本気の本気の本気でする。

 

すると、

至福 恍惚 ふんわり ラクラク 

……なのに、

スッキリクリア✨

っていう、ららら感(笑)に包まれていることに気づく。

 

 

たろうさんの到来

 

 零(0)番の このカードを眺めていると、

たろうさんの到来を告げるものなのだと、

感じます。

 

たろうさんは、日本の民話では「主人公」として登場する男の子の名前です。

 

桃太郎、金太郎、浦島太郎 をはじめ、

三年寝太郎、龍の子太郎、ウルトラマンタロウ……

 

だから、たろうさんの到来 とは、

あなたは、あなたの人生の「主人公」だと知らせてくれているのです。

そういう意味で、たろうさんとは「聖なる少年」

 

なにが、はじまるかな?

どんな物語が広がるかしら?

 

このカードを引いた時は、

これからはじまる主人公としての人生への 期待不安がふくらむとき。

 

そして、その物語は、まったく未知のもの。

未知であるから「無限の可能性」があるのです。

それは、予測不可能さに心をひらくこと。

 

頭で考えた予測を手放す覚悟はありますか?

 

このとき、

どうしたらいいかわからない……と思ったとしたら、

ほんとうにおめでとうございます。

 

私はこれを、

「聖なる 『どうしていいかわからない』」と呼んでいます。笑

 

そのまま手を離していてください。

 

なにかを「やろうとすること」から手を離し、

「起きてくること」に委ねます。

 

考えたアイデアではなく、アイデアは内側から起きてきます。

そのアイデアを実行します。

予測した行動ではなく、出来事が起こってきます。

 

手を離し、起きることに任せることで、

新しい次元(ステージ)に、意識が切り変わっていきます。

たろうさんは、今がその時ですよ と告げているのです。

 

 

※因みに速習講座の1回目は 「零番 たろう」について、お話ししています。↓

 

 

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