わたしは、滋賀県の米原という小さな田舎町で生まれた。雪深い静かでのどかな町。駅の周囲は、かつては見渡す限り田んぼだった。 そんな田舎だが、なぜだか新幹線が停まった。北陸道と東海道の交わる交通の要所だったということで、新幹線開通当初からの停車駅として、小さいながらも知られたところだった。 生家の2階の窓からは、いつも新幹線が見えた。ホームに向かって「いってらっしゃーい」「おかえりなさーい」と、見知らぬ旅人に、よく手を振っていた。手を振り返してくれる大人たちはいっぱいいた。 「ひかり」が猛スピードで通り過ぎる時、トタンのボロ屋はガタガタと軋んだ。一日に何度もギシギシ、ガタガタ。今でもこのホームから、あのトタンの生家を見ることができる。わたしはこの駅に降り立つと、反射的にあの「昔の家」を探す。「ある」のはわかっているのだが、見つけるとなぜかホッとする。 新幹線の往来を告げるホームのアナウンスも、ヒューンと走りすぎるドップラー効果満点の「新幹線の音」も、わたしを形作った原型のようなもので、今でも忘れがたき憧憬のシンボル。心象風景として、目にも耳にも心にも刻み込まれている。「博多行き」という電光掲示板に心を躍らせた少女の頃。地図で博多を探し、米原から指でなぞった。東京から博多までの停車駅を(意味なく)暗記したりもした。(@今でも言えるよ、たぶん) 京都の短大へは、寝坊すると親に内緒で新幹線にこっそり乗って通学した。‘どんこう’の倍の料金がかかったので、そんな贅沢は許してはもらえなかったが、寝坊助のわたし、バイト代のほとんどはこの秘密乗車に消えてしまったと告白しておこう。 あの0系が消えるらしい。 乗り降りする大人たちをまぶしく見ていた、あの頃のわたし、そして0系。少女のころ、旅人やビジネスマン達に手を振っていたのも0系。娘時代、秘密乗車していたのも0系。名古屋に移り住んだ彼に、毎週のように逢いにいっていたのも0系だ。 0系は、わたしにとってすでに懐かしいものだけど、本当に消えてしまったら、思い出にしかいなくなる。かつて300系が登場した時などは、「しょうゆ顔(@死語!)、かっこえ~!」などと気を移したりもしたが(笑)、やっぱり新幹線の思い出と言えば、あの丸顔のやさしい0系に集約されるのである。 あと43日で、0系は本当に思い出に変わる。何度も言うが、新幹線とはわたしの心象風景の主要なシンボルだ。今でもたびたび夢に現れる。夢の中の新幹線は、いつだって0系だから。また夢で逢おうね、0系。また、遠い日の憧れと思い出を乗せて現われてね。 そして、あなたも夢で会いに来てください。新幹線に乗って。 夢で田舎町の駅に降り立った時、ホームから、民家の2階で手を振る小さな女の子を見つけたら、それはきっと「わたし」だから。 ※10:41に博多から、0系新幹線こだま629号が公式サイトの方に来てくれるらしい。ありがとうJR西日本ブログパーツよ。(^_^) *ちなみに「米原駅」はJR東海の管轄です。