ミケ的奇想 vol.1

2003年~2022年3月のアーカイブ

黒いうさぎ ~愛されたい中毒~

ワイドショーはのりぴーで賑やか。 わたしも、なぜか梯子してまで見てしまってグッタリ。あーばかばか…(^^;) 人々の好奇と非難の的となって、今、地獄の真っただ中だろうのりぴー。 見つかればこうなることが分かっていたろうに、抑制できなかった彼女の弱さを思う。この弱さを引き出すことになった彼女の孤独を思う。底知れぬ孤独を思う。黒いうさぎ。 人間とはかくも弱き者なのか。同じ孤独を味わえば、だれだっていつ何時、転落するかわからない。 人は、どこかで孤独を乗り越えないといけなくなっているんだろう。 それは、愛されようとするある種の甘ったれ根性を脱ぎ捨てるということ。 こんなことを言ったら、愛されることは悪いことなのか?と責められそうだけど、もちろんそうやないよ。 人が人と関わる時、自らもそうとは知らずに仕掛けるあの手この手は、ほとんどは「愛されたい」という叫びであることは、ちょっと注意深くまっすぐに見つめればわかること。 愛されたい…。 その願いが叶わぬ時にやってくる孤独と絶望。それを癒したい一心で、時に人は誤った選択をしてしまう。 …中毒。刺激と熱中の世界。そう、今回のりぴーが陥ってしまったそれ。偽りのぬくもりだと知りながら、黒いうさぎを抱き寄せずにはいられなかったのりぴー。お酒やクスリやSEX…さまざまな依存中毒の世界は、あまりに辛い孤独感をまぎらわすために、わたしたちを耽溺させる刺激によって、ほんの少し孤独の痛みを麻痺させることができるから。 でも…、求めた愛が報われなかった時、その時、わたしたちが黒いうさぎの罠に気づくことができたなら…、孤独を乗り越えることを選べたなら…、おそらくその絶望は福音に変わる。 愛されようとしなくても、愛されているのだという気づき。それは神というか、世界と言うか、そんな大いなる何かと自分だけの間で交わされるもの。静かで微かで、気づかないくらいの小さな小さな声で。 のりぴーが這い上がってくるのに、どれくらいの時間が掛かるのかはわからない。彼女がこの先、どんな立ち直り方をしたとて、今回のことは醜聞として一生付いて回るだろう。それだけは、もう取り返しがつかない。 ただ、どんな形であれ、彼女が本当に立ち直る日が来たとしたら、人の弱さと痛みの理解者として、静かに存在を響かせることは可能だ。中毒を克服することは、身を切るほどに痛くて辛いことだろうから、それだけに本当にそこから立ち上がれたなら、まさに中毒に陥っている人々への強い励ましになることだろう。 そう、この中毒は、だれにでも陥る可能性があるのだから。単に麻薬中毒とかSEX中毒という意味ではない。「愛されたい中毒」。目に見える依存症の多くは、この目に見えない中毒が発端なのだから。

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