ミケ的奇想 vol.1

2003年~2022年3月のアーカイブ

おじいちゃんの幻

ちょっとヘンなはなし。 先日、弟の結婚式ではひさびさの親戚に会った。 中には、十年ぶりの叔母ちゃんなどもいて懐かしかった。わたしが「おばちゃん」になっていったように、叔父や叔母たちも、いつのまにか深い皺も増え「じいちゃんばあちゃん」風情になっていた。 父方の祖母は、骨と皮と心臓だけの生物みたいで、叔母に車椅子に曳かれているようすは、何だかかわいい妖怪のようだった。あと3年で1世紀生きたことになる。 母方の祖母の方は認知症でもちろん来られる状態ではない。 祖父がいなかったので(ああ、もうかなりのお年のはずやもんなあ=だから来られなかったんやなあ)と、何気なくそう思っていた。 チャペルから出た時、叔父ちゃんに(おじいちゃんは?)と聞こうとして我に返った。 おじいちゃんは、死んで、もう7、8年くらいになることを。 小さく戦慄のような震えが走った。 おじいちゃんがとうに亡くなっていることは、わざわざ何も考えることもないくらいの大前提中の大前提。 わたしが、かりそめにも「まるで生きた人を思う」ように思った自分の心が信じられない。 そして、わたしは気づいた。 (おじいちゃんがいる?!)と。 目頭が熱くなった。弟に告げたかったけれど、もちろん黙った。 もうご先祖さまになってしまったおじいちゃんは、生きている間は、大酒飲んで大暴れする、世にも乱暴な男で、親戚はむろん近所でも有名だった。 母方なので、わたしは同居ではなかったし、彼に泣かされなかった家族はいないくらいだったから、正直言って、あまり親しみを覚える人ではなかった。 でもどういうわけか、亡くなってから、わたしは時折、彼の夢を見るようになった。 ご先祖さんの一員となって、愉快に過ごしている彼の夢を見るようになった。 そして…おじいちゃんの幻を、はからずも感じた結婚式。 祭が大好きだったおじいちゃんは、ひょっとすると列席してくれてたのかもしれない。 あちらとこちらの境目あたりで、好きな詩吟などがなりながら、孫の佳き日を寿いてくれていたのかもしれない。 「結婚というのは大事業」ってことを、おじいちゃんの不意の登場?に、改めて感じ入ったちょっとヘンな話。 永久の愛を神の御前で誓う時、そこにご先祖さんがいたとしても、なんらフシギなことではない気がした。

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