「水に流して Non, je ne regrette rien」 (1960年) いいえ、ぜんぜん いいえ、私は何も後悔していない 私が人にした良いことも、悪いことも 何もかも、私にとってはどうでもいいこと いいえ、ぜんぜん いいえ、私は何も後悔していない 私は代償を払った、清算した、そして忘れた 過去なんて、もうどうでもいい 私は多くの過去を束にして 火をつけて焼き去ってしまった 私の味わった苦しみも、喜びも 今となっては必要がなくなった 私は過去の恋を清算した トレモロで歌う恋を、清算した 永遠に清算してしまった 私はまた、ゼロから出発する 私の人生はすべて、喜びも 今は、あなたと共に始まる 今、上映中のエディットピアフ。上記の歌詞は『水に流して』。 『愛の讃歌』や『ばら色の人生』ほど日本では有名な歌じゃないけれど、わたしが一番好きな歌詞。 壮絶で、悲劇の連続で、それでも熱く痛く燃えるように47年という生涯を駆け抜けたピアフ。まあ、もちろん彼女自身にも自業自得の部分も大いにあるとは言え(笑)、そんなことを凌駕してしまうくらい全霊で生きたこと、熱く恋に生きたことに見る者がいたく胸を打たれる。彼女のシャンソンにこれほどまで心を打たれ目頭を熱くさせられるのは、彼女と歌に、隔たりがないからだろう。この歌は、ほんとうに素晴らしい。ただ、こんなに波乱に満ちることなく、同境地に至ることを21世紀人として生きられれば理想だけど。 わたしは自らの人生を波乱だなどと吹聴するタイプの人を軽侮してしまうのだけど、それはやはりピアフのようなほんまもんの人生だけが持つ圧倒的な説得力に対して敬虔な感情をいだくからであり、それは、当の本人らがむしろ隠そうとしている波乱に含まれる何かから、抑えきれずにほとばしってしまうものであるからだ。波瀾万丈の中には、正直に言って恥ずべきものが多い(もちろん自分の経験も含んでですが…(^^;))。何が悲しうて、そんな波乱を人に語りたいと思うものか(笑)。だから、「水に流して」なのだ。あなたの恥も水に流す。そして、わたしの恥も水に流す。もう、それしかないのである。 ピアフ自身は人生そのものに真摯であっただけで、それを吹聴したりする余裕はない。いや、波瀾万丈の人生に余裕など微塵もない。←金銭のハナシじゃないよ。グレースケリーやダイアナやエビータやマリリンモンローがそうであるように。バカで心優しい大女達はいつも過去を振り返る余裕などなく、常に瞬間でしかない。 波乱を人に語った瞬間から、美しくはなくなる。そんなものは、くだらない。いや、波乱そのものなど、そもそも美しくもなんともない。美しいものがあるとするなら、それを越えてゆく時ににじみ出ている何かである。そんなものは、語ったはたから腐る。 ※参考YouTube:'61年のピアフの動画『水に流して』