ミケ的奇想 vol.1

2003年~2022年3月のアーカイブ

実りの秋というシンボリズム

さて、吐く息も白んでまいりました。 木の葉も色づきはじめ、秋も、いよいよたけなわ。 色鮮やかな季節は、ただ眺めているだけでも、心に響くものを感じます。 京都の市内でも北部の小さい盆地に位置するわが家は、四方すべてに山があります。 この季節、わが家のベランダからのながめは最高。 桃色に色づいた山のきわに、ながれていく雲を見ていると、ふとトンビがぱっと視界に飛び込んできます。 そのとき、心が はっとします。 また、赤とんぼが落葉しかけているトネリコにとどまっているのをぼんやりながめていると、冷たくなった風がふっとほほを撫でます。 そんな時わたしは、なんとも表現しがたい感傷にとらわれ、こころがふるえるのです。 現実逃避か、はたまた現実の直面か。(笑) 以前から、こういう傾向のあるワタクシですが、ちかごろ、ますます拍車がかかってきた感。 そして、秋は、そんな心と現実とのハーモニーを体感するのにうってつけの季節。 夕闇に消えてゆくカラスの一群に、ポトリ‥と落ちる木の実に、こどもの洗濯物のポケットにどんぐりを発見する瞬間に、わたしたちは「何か」を感じています。 こころをとらえ、はたと手をとめてしまうような「何か」。 この「何か」を、ただ見つめ、ただ味わい、それそのものとしてあるだけ。 それが問いかけと同時に、すでに答え。 そう、この「何か」とは‥‥‥‥ ‥‥わたしは「感動」と言い換えられるような気がします。 わたしたちは、感動によって、イノチを与えられているのを知ります。 感動によって、生かされていることを、体得すること。 それが、「実りの秋」の本質‥‥なのかもしれません。

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