昨日の夜、なにかが弾けた。
考えるのがじゃまくさくなった。
もうどうでもええわと思った。
いや、もう、どうでもええわって心境になることを願った。笑
投げやりなそれではなく、あたたかなそれ。
京タロさんに聞いたら、エンマさんが出てきた。
まさに、だ。
普通は「逆」に解析する人の方が多いかもしれない。
「よく考える」というふうに。
エンマのカードは、冷静にジャッジする状態だが、それは「私」が私の思考内での判断することではない。
もっと、冷徹なもの。
つまり、ジャッジメントはエンマさんに任せる、である。
そして、ヒトは寝て、忘れる、である。( ̄▽ ̄)v
ほんもののジャッジが現れるから、それに委ねる ということだ。
そこに審判がある。
という、お知らせがエンマさんなのである。
京タロにおいては、それは、私が為すことではない。(「私」はむしろじゃま)
イメージとしては、自分の目線よりちょい上あたりに、2メートルくらい先に、エンマさんが浮かんでいる。
そこに「出現」するだけ。
出現だけで、知らせる。出現だけで、祓われる。
すごいよ、エンマさん。篁さん。
ひとことで言えば、「こだわるな」だろう。