ミケ的奇想 vol.1

2003年~2022年3月のアーカイブ

今、ここに あるものと共に

ここ数日、5年ぶりの非二元探求熱が再燃していた。

もう、決着がついたことなので、もはや、これは起こらないと思っていたのだが、なぜか「ほんとう『ここ』にあるのはなにか?」という、あの懐かしい問いが、私の脳裏を占め始めた。

ただ、昔と違うのは、焦燥感の伴った葛藤はなくなっていることで、もっと、深く、あの発見の感覚と繋がっていたいという思いが湧いてきていて、なんどもなんども問いかけていた。

すると、やはり、すぐに、世界には「何も」起こってはおらず、「これ」「今」しか存在し得ず、思考はもちろんのこと、目に見えているものも、煙に過ぎないことが実感されてくる。

ただ、この感覚を深めたい…という強い思いで、なんども問いかける。

これを数日繰り返していた。

さきほどのこと、お風呂から上がり、タオルで髪の毛を拭き取りながら、ふと、

「あ、この『問い』自体が、今、本当に起こっていることではない」

というシンプルな気づきにハッとした。

もう、今、起こっていること以外に煩わされたくない。

と、思えた。

そして、今、起こっていることに生きたい。

と、それだけを願った。

さきほど、めちゃくちゃささいなことから、不安になることがあった。

(ああ、不安に感じているのだ)と認めた。

もちろん、不安など、煙(けむ)の代表格のようなものだとはよくわかっているので、

ただし、否定はせずに、ここに、瞬間起こったこととして、不安感とも共にいようと思った。

ただ、そのままの感覚と一緒にいるだけ。

今、自分に起こっていることとだけ、ともにいたい。それだけだ。

すると、次のフィーリングがやってきた。

(これも、今、本当に起こっていることではない)と。

「今」に還ろう。今、あるものとともに生きよう。

今の「わたし」と生きよう。

すんなりと、今、ここに、戻れる。「これ」のまま、いられる。

今、ここに、「ない」ものに意識が持っていかれるから、

そわそわしてしまうのだ。

今、ここだけに、腹をくくれたら、もう、大丈夫だ。

これは、トレーニング。

そういう意味では、修行。笑

 ※ちなみに、こういうときは 「勾玉の五」とか7、8のテーマの時が多い。

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