Mさんから「お金に汚いと左手骨折するみたい」と聞く。
昨日の夢を速攻思い出して、「わたしの場合は、お金に汚くなれるほどお金がない」と笑ったら、「お金がないっていうのも、人に心配かけさせることなんだから、いいことじゃないと思うよ」というやりとり。
聞いた時は、気づかなかったのだが、電話を切ってから、はっと気づく。
さきほど遊びに来ていた娘の大のお友達のAちゃんは、なんと二ヶ月ほど前に左手を骨折したばかりだった!
これは、左手を曲げられた夢の続きだとさすがにわかってきて、お金についてちょっと考えてみることにした。
うちは数年前に運命の大転覆(笑)に遭って以来、お金に対して「ナイ」という思いが出てきた。考えてみれば、それまでも大してなかったんだけど(笑)、いつもそれなりになんとかなっていて、いつでもそれなりに「アル」と考えてきていたことを転換せざるを得ないと考えるようになった気がする。
まあ書いてみるとこんな感じだけれど、ふだんからこんなことを考えているわけではなくて、こういう思考って無意識にやってしまっているような気がする。
「ナイ」という発想は、お金に対する汚さをうむ。
汚い方法でもお金を儲けようと言う人の根本は、「アル」ではなく「ナイ」が深層に巣食っているんだと思う。
わたしはもちろん、汚い方法で儲けようなんてこれっぽっちも考えてはいないけれど、そういう人と発想の根のところに同じものを含んでいるってこと。ひえええぇぇ〜
「アル」という発想が根っこなら、お金のない状況は単に清貧である。
ここ数年、清貧だとエバッてきたけれど(笑)、あまりエバれることではなくて、警告の夢だったんですね。うーむむ‥‥‥
Mさんは「お金がないっていうのは、(神様とか宇宙?を)信頼していないってことやもんね」と。
いや、ほんまです。ほんまほんま。
方向転換を転換しよっと!(笑)
またMさんは「貧乏はいいんだけど、貧乏臭いのはいやね」と。
ほんまですね。貧乏はただの状態。貧乏臭いのは病(やまい)。
貧乏臭いのは、お金持ちの人にもいるもんね。