ミケ的奇想 vol.1

2003年~2022年3月のアーカイブ

飛行夢考〜瞬間の快楽にチャレンジする喜びなのだ

完全に昼夜逆転サイクルに入ったわたしは、今、アンパンを食べながら、なぜか飛行夢のことを考えていた。

わたしの場合、飛行夢のキャリアは長くて、よっぽど調子がいいときは大気圏を飛び出せることもある。でも、いつもは雲のあるところまでの行き来がほとんど。

 それはもう、風になったような、ほんまもんの鳥になったような、得も言われぬ絶頂感を全身に駆け巡らせながら飛ぶのだが、もうその心地よさといったら!

  

さらに、飛行夢の時は、わたしの場合はほぼ明晰夢化しているのだけれど、意識をクリアに保ちながら飛んでいる時、意識がぐるんぐるんと回転したり、一気に上がったり、または緩やかに上がったり下がったりして、あるいは、細いところをすり抜けたり、ひたすら宇宙にでることを考えて、瞬時にきりぬける(テレポーテーションですな)などなどとさまざまな飛行夢パターンがある

 

ふと思ったのだが、その時、アタクシは、一体、何を、してるべか?

 

いくら考えてもわからん。それでも、何とか、答えを自分の中から引っ張りだそうとしていることに気づき、わたしはやっと自分の愚に気づいたのであった。 

あほやで、アタクシ。(^^;)

飛行夢に、目的もヘッタクレもあるかいっ!?

ただ気持ちええから、飛んでいるだけじゃい。 

確かに、飛行夢においても、その都度の思いつきのチャレンジはあるのだ。 

「あの天井をすり抜けよう」とか

「あの雲ってどんな味かな?」とか

「湖に色つけてやろう」とか‥‥‥

‥‥そう、あんまり賢いことは考えてはおらん。

そして、思いつきのチャレンジが、これまたできたりできなかったりなのだが、本当に楽しい。チャレンジングってほんまに楽しいことなんやねってことが全身で味わえる。 

まちがっても、闇の王者アリエナイザーを倒そう!とか(笑)、世界に喜びを振りまこう!とか、浄化しよう‥‥とか、思っていないのだ。

大義がない。全く。

それで、さっきも書いたことにつながるけれど、大義って思っていることは、実は大義なんじゃなくて、人間ワザなんじゃね。

だから、これはあくまでも、「おまけ」なのである。

 

そう言われてみれば、飛行夢をさんざん味わったあとってスッキリしているし、おそらくパワフルな浄化やセルフヒーリングになっているのだと思うのだけれど、決して最初っからそれが目的なんじゃない。

さらに、飛行夢のクリアな時は、隣を守護している方が一緒に飛んでいてくれたり、支えてくれていたり、誘導してくれたりすることがあって、そういう存在とも触れ合える絶好の機会ではあるけれど、彼らに会うために、飛行夢に入るのじゃない。

 

たぶん、これを目的とした瞬間から、重みがやってきて飛べなくなるような気がする。

とくに、わたしなどのヘタレな人間にとってはそうである。

ただただ、アホみたいに瞬間の快楽にチャレンジする喜びだけ。

 

そんなことで、危ないところだったよ。

もうちょっとで、意味を見つけるところだった。(笑)

けっきょくは、こういうこと。

 

遊びをせんとや生まれけむ。

戯れせんとや生まれけむ。

 

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