娘の秋休みも本日まで。
どこか連れていってあげようかの。
あの二十六夜から、わたしは、小学生のような健康的な睡眠サイクルに入っております。
だいたい8時半くらいから9時半には寝ついて、早いと四時、遅いと六時くらいまでぐっすりと。
夢もよく見ています。
最近、ドリームワーカー的記事を書いていませんが、個人的なノートには控えをとっています。他者に関わるものが多くて、アップしていないだけであります。
昨夜、寝入りばなの夢。
娘とお風呂に入っている。
気が付けば、あたりがまっくらで娘がいなくなっている。
暗いところと水。
井戸を感じている。
ここを通じたらどこでもいける気がするが、おそろしい。
ダークな通路。
荷物のような機械のようなものが風呂場にある。
その荷物に、人を感じる。というか、荷物そのものに意識があるのがわかる。
娘は、もうこの場にはいないのがわかってはいたが、
助けを求めるように、娘の名前を何度も呼ぶ。
(現実の)娘が隣で「どうしたん?ママ?」と声を掛けてくれたので助かった。
となりでうめいていたらしい。(笑)
「ああ!鈴ちゃんがいたー!」
と言って、心底ホッとして(笑)抱きしめる。夢だと気づく。
【My Feeling & Reading】
水系のわたしの、もう一つの「水」。井戸。
水の隠された側面。
古来から、井戸は冥界に通じているとされる。
小野篁(おののたかむら)の冥府通い伝説。
ここは畏れる場かもしれないけれど、怖れることはないのかもしれない。
なんだかんだ分析してても‥‥‥やっぱ、怖かった。
先日三井寺で、えんま様にも手を合わせたけれど‥‥
あ、そうか!‥‥ちょっと唐突に思いついたが‥‥‥
ちょっとこれは書いていいのかわからないが、とりあえず思いつきの控えということで。
三井寺には秘仏があるとされるし、また、他のお寺にも、誰も触ったことがないという秘仏が隠されていると言われているところもけっこう多いけれど、ひょっとしたら、秘仏の管轄って、えんま様の領域なのかもしれない。
秘仏って、隠された教え‥すなわち宇宙の真理の顕現にほかならないと思うけれど、たぶんやすやすと公開されてはならないものが含まれているのだろう。
だから、えんま様が暗い井戸の底で管理なさっている‥というか。
神は、ただ喜びのみのダンスを踊る。
しかし、それは神なるものが喜びしかしらないのではないでしょう?
彼らは、苦悩も、痛みも、すべて包括する。
菩薩様の慈愛の微笑みは、衆生の苦しみを請け負っている涙のお顔が、
その奥にたゆたっている。
そう、タロットの「Empress」「Emperor」の横顔が、今ふと浮かんだけれど、そういうもののような気がする。
すべてを知って、すべてを経過して‥‥それでも笑う。
いや、もう笑うしかない!と知る。
これが、近ごろの「蘇り=黄泉帰り」のテーマ。
それは、苦悩や厳しさを避けて通る‥というのではなくて、
それらの中でも「笑う」という姿勢なのではないだろうか?
どこにあっても歓喜しかない‥というのは、そういうことなのではないだろうか?
あ、EmpressやEmperorが横顔しか見せないのは、それしか見せられないのだけれど、
彼らが向こう側の顔も見せられるとき、それが「観音菩薩」さまなのだと思う。
彼らのその男性性や女性性の側面である横顔は、まさに黄泉に潜っている経過なんじゃあないだろうか?
月の在り方にも近い。裏側を見せない。
裏に秘められているものを、包括しつつ隠すという、一種の秘仏的、あるいはえんま様的なワザに心を打たれているのだと思う。
今日は新月です。
闇に隠され、暗い井戸の底で眠るものに、敬意を表しつつ。