ミケ的奇想 vol.1

2003年~2022年3月のアーカイブ

餅というメタモルフォーゼ

50年前、お正月のお餅は、一般的に「家でつく」ものだったように記憶している。

実家にも、当時は「杵」と「臼」があって、毎年12月30日は「餅つきの日」と決まっていた。

父が餅をつき、母と祖母が臼の中の餅をひっくり返す。

大人たちは、掛け声で音頭を取り合い、リズミカルに、もち米は餅に生まれ変わった。

最後は家族全員でちゃぶ台を囲み、つきたての餅を丸めた。

小さな私は、年末のこの恒例行事を、とても楽しみにしていた。

ある年、そんな実家に「餅つき機」がやって来た。

炊き上がったもち米を入れてスイッチをONにすると、機械の中で、もち米はあっという間に餅に変化(へんげ)した。餅つき機の中の摩訶不思議な変容を、家族全員で上から眺める。

餅のメタモルフォーゼ。私は、この文明の利器に心が躍った。

かくして、30日の餅つきの日は、餅つき機を眺める日に変わり、臼と杵は、物置の奥へと押しやられた。

いつの頃だろうか定かではないが、お正月準備をしていた時の母のひとことを、私は今も覚えている。

ある年の12月30日。母は、スーパーで購入した、パック包装の鏡餅を手にしていた。各部屋の机の上に裏白を敷き、その上に鏡餅を据えながら、「ほんまに楽になったわ〜」と母は言った。

もはや情緒も何もなかったが、私は、特別にそれを寂しいと思うこともなく「そうやろな。」と思っていた。

臼と杵に次いで、餅つき機もまた、物置で、永遠の眠りに就いている。

現在、母親になった私のお正月準備は、(もちろん)鏡餅のパックを、各部屋に置くこと。5分程度で完了。餅つきに、もはや半日を割くことはない。

餅つきを我が子に見せていないのは、寂しい気がするが、家庭でやらなくても、学校などの年中行事として、年末には、あちらこちらで執り行われている。

そんな地域の方々のおかげで、子供らの心の中には、郷愁の心象風景として「餅つき」は残り続けてくれることだろう。いくらパック技術が進歩したとしても、餅つきの日の、つきたての餅に勝る餅はない。

大人たちの掛け声と頑張り。そして、餅を粉にまぶして丸める時の、熱くて柔らかい感触は、お正月を迎えるためのスイッチみたいなもの。一年が暮れて、そして明けてゆく時の、一種の象徴。

おそらく、それは、私たちの「根っこ」に属するもの。連綿と続いてきた大切な「何か」である。

私は、この、説明のし難い「何か」を説明したくて、もがく。

私たちが、「ここに」立っていることを、この根拠を揺るぎないものにしてくれている。それが、こんなささやかな風習によって、まるで当たり前みたいに作られていることを。

 

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