さて、雑司ヶ谷墓地も、今回が最終回です。 墓場めぐりの趣味が特にあるわけじゃないのですが(笑)、なかなかこんなにいっぺんにお参りできることがありませんよね。 また、お墓は墓標というだけあって、標(しるし)であり、とてもシンボリックなものを覚えます。特に、雑司ヶ谷墓地は、すごく整備された現代の墓地とは違って、古いけれど清潔で、『The日本の墓地』という印象を受けました。
竹久夢二さん。今もファンが多いのがわかります。煙草が供えられていました。 和製ロートレックと呼ばれるように、彼の抒情的な画風は一世を風靡し、現代でもなお古びることがありません。 夢二という乙女チックな雅号と、あのイラスト。当時、少女たちの心を鷲掴みにしたのも頷けます。
私は最初、「え?!ここに眠っておられるの?」と、ちょっとびっくりしました。 彦乃はんと京都で眠られているような、勝手な印象があったもので。(←安易) 考えてみれば、夢二が京都で下宿していたのは、恋愛沙汰から逃げ、美大生だった彦乃と人目を忍んで暮らしていた場所というだけで、(認められていた関係ではなかったので)、お二人が合祀されたお墓があるわけもなく。 早逝した彦乃との恋を生涯忘れなかったという夢二さんは、彦乃の幻影を追って作品を描いていた面も多々あるでしょうから、多くの甘〜い素敵な作品を生み出されたこと……今となっては、それだけで十分な気がします。
ちなみ余談。実は、めっちゃ遠〜〜い親戚だそうです。夫の亡き祖母が生前に言っていました。(祖母は夢二さんと同じ岡山出身) だからってわけではない こともない のですが、夫と恋人時代に岡山県の牛窓に旅行に行ったことがあって、その時、夢二郷土美術館にも立ち寄りました。なっつかし〜♪ペンダントを買ってもらったような… 記憶が遠いなぁ。笑
こちらは、島村抱月さん。 (調べてみると、現在、三女トシコさんによって島根県浜田市のお墓に納骨されていて、こちらはファンのための墓碑であるそうです) 近代〜現代の劇作家、演出家としてすごく有名ですね。 彼を考察する時、外せない存在が、女優松井須磨子。 抱月さんは、女性の解放、自由を旗印に掲げて活動し、新しい女性像を希求していました。須磨子さんは、彼の思う理想像を演じられる無二の理解者であり、女性だったのでしょう。多くの作品に彼女を起用しています。
人気のあったお二人の不倫は、当時一大スキャンダルだったらしく、抱月さんも百叩きにあったそうで、家庭をはじめ、多くを失いました。まあ、今ではよくある芸能人のお話ではありますが、夢二さんと違って隠れてコソコソではなく、全てを失ってでも、ドンとやりきったところが、単に美しい人を囲っておきたかったという意味ではなく、お互いに人生を賭した仕事であったことが窺えます。お二人で芸術座を結成されています。
それを思わせるのが、この墓標。『観照』という文字と、彼の書いた詩があり、たぶんですが、禅を学ばれているのでは?と推測されますね。
在るがままの現実を即して。 全的存在の意義を髣髴す。 觀照の世界也 味に徹したる人生也 此の心境を藝術と云ふ 抱月
須磨子女史は、彼の亡くなった二ヶ月後、なんと彼の後を追って、彼が亡くなった場所で自殺をしてしまうんです。 抱月さんへの心酔ぶりが窺えますが、ひょっとしたら、そんな単純なものではなかったかもしれません。想像するに、彼が亡くなったことで、後ろ盾をなくし、さらに周囲からの喧々囂々の非難をより浴びることになったでしょうから、とても居たたまれなかったのかもしれません。 当時の好奇の目と非難の凄まじさは、須磨子さんにとって、彼がいてくれてこそ耐えられたことだったのではと思われます。まあ、しかし、今となっては昔の話。こんな風に、お二人を美化して語りたくなる気にもなってきますね。相手のご家族からの恨みも、時が三代も進めば、昔話にもなるでしょうから。