ミケ的奇想 vol.1

2003年~2022年3月のアーカイブ

衝撃の手相見

白い着物をお召しになった女性がいらっしゃった。風格と存在感のある、姉御肌であることが一見してわかるオーラを放たれていた。

お声を掛けると、お知り合いから伝え聞いたということでお越しくださったとのことで、とある武道の先生をされていて、手相見の専門家、さらにいくつかの専門職を持たれた多彩な能力をお持ちのT子さんという方であった。

私自身が「へなちょこ感性」と呼んで、いわば楽しんでいるだけの、漠然と感じてはいても、はっきりと掴みきれていないある感受性についても、何も話していないのに、すぐに気づかれて、この人は「これ」を共有している人だということが、ちょっと面白かった。

というのは、私とは違ったタイプの、安定感のある、しかしとにかく鋭い人であったから。

 

その日、京都タロットと、彼女が編み出したという特色のある手相見を、物々交換(笑)させてもらったのだが、彼女の手相鑑定は、ある意味、衝撃的であった。

「ここに『魚』があるから、もうすぐ〓〓に行きますね。でも、そのとき、自分の××にこだわらないでくださいね」

いや、〓〓の件については、今のところまったく現実的ではない話で、何一つ具体的に考えていないことではあったから、ピンとは来ていなくて「へーぇ?」と不思議がっているだけの感想。でも、とても嬉しい話ではあった。

そして、もっとも衝撃的だったのは、鑑定は「それだけ」だったから。(笑)

私は「もうちょっと何か」を欲しがり、「気をつけた方がいいことってありますか?」と聞いたら、「(わざわざ)気をつけたこと聞くのって、(人は)好きですねぇ」とニヤリとおっしゃって、私ははっと気づいた。

そして、T子さんは「私の言うことは『当たってしまう』から……聞きますか?」と。私はもちろん「いいえ、やめます」と告げた。 ああ、これが鑑定なのだ と。

短い言葉で、端的に、届ける。それは、相手を信頼しているから、できる。

 

もちろん、人によっては、多くの言葉がいる場合もあるだろうけれど、あの時の私に、実際、それ以上の言葉が必要だったろうか? それ以上の言葉を求めることが重さであり、不用なことなのだ。

T子さんも、自分の口から出るコトバを信じておられるから、余計なことは一切伝えず、この一言だけに集約されたのだろう。

 

果たして、翌日のことだ。〓〓の申し出が、2件続けてあった。 まあ、まだ、個人の思いつきの段階だから、どうなるかは全くの未知ではあるけれど、確かに、前日おっしゃった「たった一言」が動き始める「兆し」は感じられた。

鑑定もいろんな個性があっていいが、彼女の鑑定は「そぎ落とす」鑑定だ。 そぎ落とすというのは、本当の祈りなのだと、私は思っている。 何かをお願いするのではなく、いらないものを「そぎ落とし、捨てる」方の祈り。 捨てて捨てて、捨てて…捨て切ったら、現れるもの。それが、当人の本質、本性なのだから。

祈りとは、本来、そぎ落とし なのだ。

私は、『拾八、セオリツ』を感じた。あの激しさと勢いと潔さを。

西洋タロットでは『月』。 スーパームーンを翌日に控えていた。

 

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