ひろえちゃんが、FBでご案内を書いてくれたらしく、京都タロットの発注が数件入って発送作業に勤しむ金曜日。
ひろえちゃんというのは、ある筋では(どんな筋やねん…笑)「ひろかもちゃん」と呼ばれ親しまれている。
高校時代の同級生の一人で、私は、かつてのまま「ひろえちゃん」と呼んでいる。
(ひろえちゃんの方も、ふだんは私を本名で呼んでくれるが、人前では「ミケさん」と言い、使い分けてくれている)。
さて、このひろえちゃんは、同級生でありながら、私にとっては先輩のような存在。
高校を首席で入学した才媛で、現在は、とある短大で色彩学の教鞭を執るかたわら、カラーコーディネイターでありカラーアナリストでもあり…まあ、つまりカラーを扱うセラピストのプロ中のプロなのであーる。
生来、私は独習型で、あまり人の言うことを聞かないタイプ(@ごめんなしゃーい)だが、なぜかひろえちゃんの言うことは、わりとおとなしく聞く。
優秀だったかつての同級生というのは、一種のアーキタイプ(原型)となっているもので、私にとっては、アーキタイプがまんま目の前にいる感覚なのである。
羽化したばかりのひよこが、初めて見たものを親と勘違いして付いていくのにも、多少似ている。笑
まあ、そのくらいの、愚直な信頼(笑)を寄せているのが、私にとっての、ひろえちゃんなのだ。
今回、京都タロットの普及版を作成したことで、私はわざわざひろえちゃんの考えを仰ぎに行った。
いや、こんなことは、めったにないのよ、私。キホン、ユイガドクソンなので。<うそうそ
彼女は、私にいろいろ質問をして、私も想いを語る。
最初「こだわらずに五十人の方に手渡せればいい」となんて言っていた私だったが、京都タロットを手に取ったひろえちゃんは
「いや、たろうさん(京都タロットの精霊)は、最初の五十人の手元に、大切に巣立たせるべきもんなんやない?」とアドバイスをくれた。
これが、私の腹にこっとり落ちた。
今の私にできる最大の力で、やっと形にしたたろうさんの顕現。それが初刷りのささやかな、この50個。
そして、これを手に取ってくださる五十人の方。
京都タロットが何者であるかもハッキリわからない今の段階で、とにかく買ってみようという方々は、本当に本当に奇特な人々なのだろうし、この「奇特さ」こそ、まさに「たろうさん」の姿そのものなのではないか!
奇特さの中に、無限の可能性が含まれている。もちろん失敗も。そして、もちろん大成功も!
そのすべてのすべてだ!
京都タロットの0番『零・たろう』 とは、奇特さのただ中にある、どう転ぶかわからない不安定さを潜ませながら、不安定だからこそ、想定できないほどの可能性だって潜ませている。
そりゃそうでしょう。安定しちゃったら、想像の範囲は超えないわけで、不安定だからこその大きな可能性。
『零・たろう』は、人生にたびたび訪れる、そのような局面を表している。いや、それが0(零)番ということは、その局面から、人生が動き出すと解いている。
『零・たろう』とは、赤子の状態といってもいいかな。赤ちゃんには無限の可能性が秘められているけれど、そのぶん、不安定そのもの。
ひろえちゃんも言ってくれてたけれど、6千円というのは、そのちょっとした試金石になるちょうどいい金額。安すぎず、高すぎず。
(いやいや、そんなこと考える余裕はぜんぜんおまへんけど。単純に増刷したいので、ちょっとでも儲けを出すためのキワキワの価格設定。これが一介の主婦のワタクシの今の精一杯ですねん、ほんま)
そんなわけで、最初の50名様は、これから永~く続く(=続けまっせ!)京都タロット史上、不動の最優待顧客様枠に謹んで入れさせていただきますゆえ、エディションナンバーを大切にお持ちいただきますよう、どうぞよろしくお願いいたします。