この点から見直してみると、稲穂はWandsに、ほぼ相当する。魔法の杖であるWandsとしての性質は、京都タロットでの稲穂の魔法で表されると、私は考える。
それは日本神話の中で、ニニギノミコトが稲穂を持って、地上にやってきたとする天孫降臨の話や、あるいは、『わらしべ長者』の民話からも連想できるように、稲穂というのは、魔法のごとく姿を変え、日本人を物心ともに支えていることを表現しているシンボル。とてもWandsっぽい。
(その他、自分の夢見からの洞察もあるのだが、それは、またの機会に)
稲穂には、確かにpentacleの要素もあるだろう。実際に、私たちの身体を育み、また、古代において稲穂や米は「お金」であったこともある。
しかし「稲穂」は、単純に、食料やお金というだけでなく、地上の俗なるもの包括した変容するもの(=聖なる)であって、日本人の「心」を表現するシンボリズムだと、私には思える。
だから、ソフトバンクのCMではないけれど、稲穂はほぼWandsなのだ。笑
「pentacleの要素を含めたWands」というのが『稲穂』。
ただ、こんなふうにいちいち対比するのではなく、日本ならではの新しいスートだと考えた方がいいと思う。違いを明確に分けたスートではなく、すべてに、別のエレメントを含有させている新しいスート。
役割を際立たせピンポイントに答られるのが西洋式とするなら、すべてとゆるやかにつながり、循環していることに比重があるのが東洋式。さらに日本式では、洗練させ、独自の細分化に挑むもの。
髄のところさえ外さなければ(=絶対肯定)、日本ぽいファジーさを加味しながら読み解けるので、京都タロットは、日本の人が「そのまんま」の感覚で解きやすい汎用性を持たせることができる気がするのだ。
……こんなふうに書くと、難しそうに聞こえるのが難点だけど💧