西武園ゆうえんち。(レトロ加工しています😃)
郷愁感漂う商店街。ゆうえんちのイベント。三丁目の夕陽の世界観ですね。
この光景から童心に返る心地するというのは、実際は70代以上の人達かなぁ。
モンチッチは懐かしかったけど。
アニメふしぎ駄菓子屋「銭天堂」を彷彿とさせる夢見堂。
夢見ってのが好いですね。
実は、今回の本命はこれですねん。↓
『ゴジラ・ザ・ライド』
個人的には、USJのハリーポッターに匹敵するかなり面白いアトラクションでしたー✨
西武園ゆうえんち。(レトロ加工しています😃)
郷愁感漂う商店街。ゆうえんちのイベント。三丁目の夕陽の世界観ですね。
この光景から童心に返る心地するというのは、実際は70代以上の人達かなぁ。
モンチッチは懐かしかったけど。
アニメふしぎ駄菓子屋「銭天堂」を彷彿とさせる夢見堂。
夢見ってのが好いですね。
実は、今回の本命はこれですねん。↓
『ゴジラ・ザ・ライド』
個人的には、USJのハリーポッターに匹敵するかなり面白いアトラクションでしたー✨
萌え断1 果寿庵のあまおう大福 これで630円 😎
萌え断2 マールブランシュの大丸京都店限定
🍀ふんわりシフォンサンド しばらくハマる
ドイツビール
🍀ご近所Hカフェのフレンチトースト
春休みの小坊主たち
夫が、「帰ってきよったな。うるさい軽自動車」と言う。
夕方になると、遠いところから、近隣の青年の帰宅を知らせるエンジン音が聞こえてくる。
夫によると、車のマフラーに細工がされているらしく、そのせいで朝夕うるさいそうだ。
実は、夫が、そのことを指摘するまで、私は轟音に気づかなかった。
いや、指摘してからも、私には、そのエンジン音はほとんど耳に入らない。言われなきゃわからないのだ。
要するに、私にとって、その軽自動車は「ないのと一緒」。
逆のこともある。
うちの裏のマンションから、中学生くらいの娘が、親に反抗しているような大声が、よく聞こえていたことがあった。
「なんでわかってくれへんのよー!」とか
「ママは怒ってばかりやー!」とか。
時には、ギャン泣きしながら訴えているような娘の声が気になってしまい、通報ギリギリやな……と苦笑することもたびたびあった。
それを夫に話したところ、全く知らないという。
え?あんなに大声なのに?
と、びっくり。
一度、まさにそれが始まった時に、窓を開けて、
「ほらほら、どこかのお嬢が泣き叫んでやはるやろ?」と伝えると、
「うーん、言われてみればそうかも。ほんまに女の子かな?小学生くらいのボンに聞こえるけどな」などと言う。
いやいや、どう考えても、あれは中学女子ちゃう?
と、私。
夫にとって、その娘は「いないのと一緒」なのだ。
何が、聞こえるか、聞こえないか。
何を、拾うか、拾わないか。
好きなものはもちろん、拾う。
しかし、好きじゃないもの(嫌いなもの)も、また拾う。
そう思うと、人は、自分が気になるものしか拾わない。
実は、「好き」と「嫌い」は、人の‘無意識’にとって等価。
顕在的な意識にとっては、好きと嫌い は、別のカテゴリーに分けてしまうものだが、無意識にとっては「好悪」という同ジャンルなのだ。
このことは、「好悪」は「わたし」というキャラクターを際立たせてくれるファクターとして、別個としてではなく、同列として考えるようにすると、すごくスッキリしてくると思える。
好悪について、感情的な反応にとどまるのではなく、感情的な「反応」自体を大切にすると、「わたし」という個が見える。
それは、無意識を、意識化させる試み。
先日、イマココプログラムの配信で知ったアプリ『メディトピア』。
その名の通り、メディテーションのためのアプリだけど、これ、めちゃめちゃいい✨
瞑想が習慣化しているわたしのような人はもちろん、マインドフルネスビギナーさんも、いずれにしても秀逸の誘導。
習慣化させたいビギナーさんには、特にいいと思う。
その都度、簡単なメモもできるし、日々の進行がグラフ化もされるし、何より動画や言葉が素敵。誘導の声色もクセがない。
月500円のサブスクだけど、これは価値アリと見た。😎
お試し期間もあるので、ご興味のある方はぜひどうぞ。(@断じて、回しモンではございません。笑)
睡眠導入の瞑想もあるので、私の長年の入眠障害も解決されるかも?(ホンマカイナ?!)
しばらくお試ししてみようと思う。結果のご報告は、1ヶ月後くらいにまた改めて。ワクワク🤗
はてなブログに、大好きなテンプレート(これ)を見つけて、以前運営していたワードプレスブログからエクスポートしておいたデータを移行しました。
昨年後半は仕事もできずに、ほとんどしんでいましたが、このテンプレートのおかげで(笑)やっと書きたい気持ちが戻ってきたしだいです。
その後、ハッピーちゃんの7daysプログラムに参加して、こちらに感想などを控え始めることで復帰✨。楽しくなってきたところで、このサイトは、もう過去やな……と感じ、新装してから、新たにブログを書き始めたいと思うようになりました。
↓
そんなわけで、ここは、'03年〜'22年3月までの、20年近くの記事のバックアップサイトとします。
だいたい1、2年に1度、ブログのお引っ越しをするたびに、記事を削除(ときどき紛失)で、残っている記事は500余り。「ちりつも」とは言いますが、まさに山と積もった塵の感あふるる内容となっております。🤣
このブログ(ミケ的奇想vol.1)は、これ以上は更新しません。
これからはシーズン2。新しいブログで綴ってゆきます。↓
あっちの見た目も超好み。(基本的に、ここと変わってない……笑)
↓
慣れているので、またもやはてなブログです。
わたしは、自分がヘナチョコで非常に繊細であることは自覚してはいましたが、できないことには、まったく無理が効かず、話を耳に入れることすら耐え難い苦しみで、身体的にも打ちのめされてしまうことが昨年後半明らかとなり(大マジ)、極限まで追い詰められて、ようやっと、私は私でしか生きられぬと腹をくくれました。
良いも悪いも、わたしはヒトさんの期待には応えられない。
今まで、すごくすごくすごく無理してきただけで、ほんとうはまったく無理だったのだ。努力でカバーできる次元ではなかった。
私は、そのぶん、自分の感性をさらに特化させる。さらに洗練させる。
そのために生まれてきたという本懐を遂げる。
このヘナチョコで、繊細で、どうしようもなかったことを、私に与えられた貴重な特質として、まっとうさせる。
繊細さゆえに身動きできなかったものは、まるっと頑固さとして、私の中で響いている。
だれもがひるむような恐ろしいこの頑固さで、私は、私にしか歩けない道を歩く。
もう、だれにも、合わせたいと思わない。
昨日DAY6の夜は、究極の手当て法。
そして、今朝DAY7最終日の朝は、自分にかわいい、大好きと言いまくった。
このシンプルな方法が、ある意味、功を奏したのだろうか。
この半年(もっとか)分の、オカンへの怒りがむくむくと湧いてきた。
いや、怒りがあるのはわかっていたし、湧いてもいたけど、
こんな むくむく したヤツは、ひさびさであった。
いや、予想外です。笑
膝掛けを口に押し当てて、
「大っ嫌いー!」を腹から出した。
はーー!スッキリ。
鬱積していたものが外れて、だいぶん楽になってきた。
たぶん、これがその都度できていたら、
相手をほんとうに嫌ったり、重い感じにはならないのだろうなあ。
表現せずに我慢していたから(←「相手に」という意味ではない)
鬱積したのだね。あたりまえっちゃーあたりまえ。
我慢する習慣が、こんなに付いていたとは思わなかった。
我慢していない方だというくらいに思っていたよ。
いや、まだまだ、抑えていたものが出る余地がある。😎